隠者
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中世の隠者は町の中や街の周囲にもおり、おそらく門番や渡し守をして生計を立てた。

西方では中世から近代にかけて隠者的な修道生活も修道会の文脈で行われた。例えばカトリック教会ではカルトジオ会やカマドレーゼ会が修道院を庵の集まりとして整え、そこで修道僧が孤独に祈りや仕事をして過ごすようにして、共同で行う典礼は比較的簡単にのみ行ってあとは食事やレクリエーションを行う場合のみ時々集まるようにした。シトー会、厳律シトー会、カルメル会は性質上本質的に共同社会的であり、その会員は修道院での生活を何年も続けると隠遁生活への呼び声を感じて修道院の敷地内にある庵としての小屋に移動した。これは男女とも同じであった。他の形の修道生活の代わりとしての職業を選んだ隠者も多くいた。11世紀には、隠者の生活は救いへの合法で独立した脇道として認知された。11・12世紀の多くの隠者は聖者とみなされるようになった[9]
世捨て人

初期の文献から現代にいたるまで、「世捨て人(:anchorite)」という言葉はしばしば隠者(:hermit)の類義語として使われる。だが世捨て人の生活は、隠者の生活と似てはいるが、それから区別できる。中世において世捨て人は一般的な職業であった。世捨て人・女世捨て人たちはたいてい教会に対して建てられた小さなあばら家あるいは独居房である「錨効き」(あるいは「停泊」)で孤独に宗教的な生活を送った。停泊の扉は世捨て人が入居してから地区の司教が計画する特別な式典において煉瓦でおおわれることが多かった。世捨て人をミサを聞くことによって典礼に参加させるため、そして聖餐に与らせるために聖壇の近くに小さな窓を備えている教会が中世には存在した。もう一つの窓が通りか共同墓地に続いており、慈悲深い隣人が食料その他の生活必需品を届けてくれた。世捨て人の助言を求める客もその窓を使って彼・彼女に相談した。今日では独特な形式の職業としての世捨て人はほとんど聞かれない。
今日の生活
カトリック教会

今日のカトリック教会は以下のどちらかの生き方をするよう隠者に呼びかけている:

(a)(ベネディクト会、シトー会、厳律シトー会のような)修道会に所属しているか、(b)(カルトジオ会、カマドレーゼ会のような)修道会の支持を隠者として受けている 隠者として、しかし、どちらの場合も上位の宗教的権威に従っている

(カノン603)地域の司教の教会法の下で奉献隠者として

修道会のメンバーChurch of the hermitage "Our Lady the Garden Enclosed" in Warfhuizen, Netherlands

今日のカトリック教会では奉献生活の会がその会員で神に呼ばれたと感じて共同体での生活から隠遁生活に移るものの規則を定め、彼らの修道院長にそうするのを許可している。教会法の法典(1983年)には彼らに対する規定は特にない。彼らは規則の上では奉献生活の会の会員であり、それゆえに修道院長の管理下にある。

上述のように、カルトジオ会とカマドレーゼ会の修道士・修道女は修道院の文脈で本質的に隠者的なめいめいの生活の仕方をしている。つまり、こういった修道会の修道院は実際のところ個人ごとに持っている庵の集合体であり、修道士・修道女はそのめいめいの庵でほとんどの時間を一人ですごし、毎日の、そして毎週の祈りの時間にだけ集まるのである。

これも上述のことであるが、特に厳律シトー会のような、本質的に修道院的な修道会は、めいめいの修道士・修道女に、彼らがコミュニティーのなかでしかるべき習熟度に達したら修道院長・女修道院長の監督下で修道院の敷地内で隠遁生活を追求させる伝統を強調する。トマス・マートンはこうした生き方をとるトラピストの一人であった。
カノン法603条

最も初期の隠修ないし隠遁生活は修道会のメンバーとしてのそれに先立つものであった、というのも修道院や修道会は修道生活のの歴史の中でも後になって発展してきたものだからである。今日では最初に修道院で生活することなしに隠遁生活、つまり人里離れた奥地で暮らすか街中でも俗界から厳しく隔離された環境で暮らす生活を自分の天職と感じる敬虔なクリスチャンが増えている。隠者の職業は旧約聖書の砂漠の神学(つまり、心境の変化をもたらすことになる40日間の放浪)であることを念頭に置きつつ、都市の隠者にとっての砂漠とは心の中に存在する砂漠であり、神の場で身一つで生きていくケノーシスを通じて清められていると言われる。

奉献生活の会の会員ではないが隠修ないし隠遁生活への呼びかけを感じるがそれにもかかわらずある種の奉献生活をカトリック教会に認知してもらいたい男女に備えるため、カノン法(1983年)に奉献生活に関する条項(第603条)が設けられた:

(1) 教会は奉献生活の会のほかに, 隠修ないし隠遁生活を認める。それによってキリスト信者はこの世からのいっそう厳しい離脱, 孤独の沈黙, 絶え間ない祈りおよび償いを通じて, 自己の生涯を神の賛美と世の救いのために捧げる。

(2) 隠修者が, 奉献生活において神に捧げられたものとして法的に認められるのは, 三つの福音的勧告を請願又は他の聖なる絆によって確かなものとし, 教区司教の掌中において公に表明し, 同司教の指導のもとに固有の生活の仕方を順守する場合である。[10]

つまりカノン法603条(2)は何らかの隠遁生活への呼びかけを感じた人が「他の種類の奉献生活」を送っているとカトリック教会に認められるための要件を規定している。彼らは大抵「隠修者」と呼ばれている。

カノン法603条の規定は他の多くの一人で生活して自身を神の愛への熱烈な祈りに捧げているカトリック信者には適用されない。しかし神の呼びかけを感じて自分の祈りに捧げられた孤独な生活を奉献生活に入ることでカトリック教会から認めてもらおうとする人には適用され得る。

1992年10月11日に出されたカトリック教会のカテキズム(§§918-921)では隠遁生活について次のように言及している。

教会史のごく初期から、全く自由にキリストについて行くことを述べ、誓願を実践することで彼をより強く模倣しようとした。彼らはそれぞれ自分のやり方で神にささげられた生活を送った。その多くは聖霊に導かれ、隠者になるか既存の信仰の家族の一員になった。彼らを教会はその徳と権威によって快く受け入れ承認した。

司教は常に聖霊から教会に贈られた奉献生活の贈物を認めようとするであろう;新しい形の奉献生活の承認は使徒座によって確保されている。(Footnote: Cf. CIC, can. 605).

隠遁生活
常に三つの誓願を公に告白することなしに、隠者は「生涯をより厳密な世界の分割を通じた世界の救済と神をたたえること、そして静寂な孤独と勤勉な祈り・懺悔に捧げる。」(Footnote: CIC, can. 603 §1)

彼らは教会の神秘の内面、つまり、キリストとの個人的関係を皆に宣言する。人の目から逃れ、隠者の生涯は、単に隠者にとって主が全てであるからこそ隠者が生涯をささげたところの主に関する沈黙の説教である。ここに砂漠での、深い精神的な戦いの中での十字架に張り付けられた人の光輝を見出す特別な呼びかけがある。

隠修ないし隠遁生活に関するカトリック教会の規定(カノン法603条を参照)には慈悲を求めての身体的努力、つまり慈善活動が含まれていない。しかし、隠修者は皆、一般のクリスチャンと同様に、慈善活動の規則に縛られており、それゆえに特に慈善活動を行う必要がある際には自分の状況が許す限りで寛大にその必要に答える。ただし、隠修者は、やはり一般のクリスチャンと同様に、勤労の規則に縛られてもいて、そのため自分で自分の生計をまかなう必要があるので、キリスト教の教えに従わない限りいかなる手段を使ってでも自分で生計を立てないといけない。そのため、彼らは自分の司教にこれが自分に彼らがそのもとで礼式を整えるカノン法603条と矛盾しないで隠者という職業の義務を観察させないことはないと確信させるとすれば、介護分野において(自分に)仕えることは隠修者にとって適した職業選択ということになる。

カノン法603条には隠者の協会に関する条項がないが、そういう協会は存在する(例えば、ニュージャージー州チェスターには「ベツレヘムの隠者」、アメリカ合衆国では「聖ブルーノの隠者」といった団体が存在する。ラヴラ(en:vra)、スケーテ(en:skete)も参照)。
非奉献生活

よく祈る孤独な生活をして神に身をささげようという呼び声を感じたカトリック信徒必ずしもそれを何らかの形の奉献生活への呼び声だと認識するわけではない。その例として、東方典礼カトリックで、隠者生活の一形態として西方にも似たような形式のものがあるプースティニア(en:Poustinia)がある。クマに食料を分け与えるサロフのセラフィム
東方正教会

しかし、ロシア正教会と東方典礼カトリック教会では、隠者は祈りにのみ生きるのではなく、プースティニアという東方キリスト教の伝統的な様式に沿って自分の所属するコミュニティーに奉仕することもある。プースティニアのおかげで隠者はいつでも手が欲しい人を手伝うことになっている。

東方の教会では隠遁生活の伝統的な一つの変種としてラヴラとスケーテの中に半隠遁生活があり、例えば歴史的にエジプトの砂漠の中にあるスケテス(en:Wadi El Natrun)があり、また、様々な形の禁欲生活がアトス山のいくつかの地域で続けられている。
著名なキリスト教の隠者

初期・中世の教会

大アントニオス、4世紀、エジプト、砂漠の師父、修道院制度の祖とされる

エジプトのマカリオス、4世紀、聖大マカリオス修道院の創設者、『聖なる説教』の著者とされる

ヒエロニムス、4世紀、環地中海地方、教会博士、ヒエロニムス修道会の精神的な祖とされる

アレクサンドリアのシュンクレティカ、4世紀、初期の砂漠の師母の一人、彼女の金言は砂漠の師父のそれとひとまとめにされている

啓蒙者グレゴリオス4世紀、アルメニアにキリスト教信仰をもたらした

エジプトのマリア、4・5世紀、エジプトとトランスヨルダン、告解者

登塔者シメオン、4・5世紀、シリア、「柱頭行者」

砂漠のサラ、5世紀、エジプト、砂漠の師母の一人、彼女の金言は砂漠の師父の言葉に収録されている

ヌルシアのベネディクトゥス、6世紀、イタリア、いわゆるベネディクトゥスの戒律の制定者、西方における修道院制度の創始者とされる

聖ガル、7世紀、スイス、ザンクト・ガレン州やザンクト・ガレンに名を残す

ロムアルド、10・11世紀、イタリア、カマルドレーゼ修道会の創始者

グドリド・ソルビャルナルドッティル、10・11世紀、アイスランド

ケルンのブルーノ、11世紀、フランス、カルトジオ会の主導者

隠者ピエール、11世紀、フランス、民衆十字軍の指導者

リチャード・ロル、13世紀、イングランド、宗教著述家

ノリッジのジュリアン15世紀、イングランド、女隠者

フアン・ディエゴ、1474年-1548年、メキシコ、グアダルーペの聖母の幻影を見た人物

近代カトリック教会

修道会のメンバーの隠者:

Maria Boulding, ベネディクト会の修道女、神秘主義著述家

トマス・マートン、20世紀、シトー会修道僧、神秘主義著述家


奉献隠者(カノン法603):

Sr Scholastica Egan, writer on the eremitic vocation


Colonies, sketes, lavras of Consecrated Hermits (canon 603):

ベツレヘムの隠者、チェスター、NJ(現代ラヴラ)


奉献生活の会に所属したり奉献隠者(カノン法603)でいたりしない形でのキリスト教の忠実な隠遁生活:

シスター・ウェンディー・ベケット、かつてナムールのノートルダム女子修道会に所属、1970年以降奉献隠者になり、「修道的独居生活」へ; 美術史家

Catherine de Hueck Doherty, poustinik, foundress of the Madonna House Apostolate

Charles de Foucauld, 19/20th cent., formerly Trappist monk, inspired the founding of the Little Brothers of Jesus

ヤン・ティラノフスキ、後の教皇ヨハネ・パウロ2世であるカロル・ヴォイティワの若年期の精神的指導者

近代正教会

ラドネジのセルギイ、14世紀


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