隠岐の海歩
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2010年6月23日大相撲野球賭博問題日本相撲協会の調査に自己申告した力士29人の中に、隠岐の海も含まれていると報じられた[6]6月28日に開かれた日本相撲協会の臨時理事会で野球賭博に関与した隠岐の海らを謹慎処分にすることを決めた。この問題の際に「コメントは広報・マネージャーに任せている」と付け人など部屋関係者に対応を丸投げしたため、一部で批判の声が上がった。
幕内定着へ

2011年1月場所は、5日目から9連勝と好調で13日目まで優勝争いに加わり、11勝4敗の好成績で敢闘賞を初受賞した。5月技量審査場所は、大関魁皇(現・浅香山親方)との初顔の一番で勝利している(魁皇は翌場所引退したため土俵上ではこの1戦のみ。翌場所も割が組まれたが不戦勝)。9月場所は、西前頭筆頭で8勝7敗と勝ち越し、三役昇進の可能性もあったが番付編成会議で東前頭筆頭と発表され、昇進はならなかった[7]

2012年5月場所は、千秋楽まで10勝4敗と好成績であり、横綱・白鵬ら5人と優勝を争っていた。千秋楽に敗れて10勝5敗に終わり優勝を逃した。9月場所は、自身最速となる9日目で勝ち越しを決め、最終的に11勝4敗の好成績を挙げた。11月場所は、2日目に新横綱の日馬富士から自身初の金星を獲得し、同時に幕内100勝を達成した。しかし8日目の豪栄道戦で負傷し、10日目から左第三趾骨折により休場することとなった[8]。休場は2010年7月場所以来2度目で、負傷による休場は初めて。

2013年3月場所は、12日目まで2敗で全勝の白鵬を追っていたが13日目に敗れ、優勝争いから脱落(白鵬は優勝を決めた)。しかし、千秋楽の妙義龍戦に勝ち、11勝4敗の好成績で2回目の敢闘賞を受賞した。
新三役場所以降

2013年5月場所で新三役(西小結)に昇進した。島根県からの新三役は、1892年6月場所の谷ノ音以来、約121年ぶりのことである。重症の痛風(詳細は後述)を治療する中で迎えたこの場所[9]7日目に琴欧洲から三役で初白星を挙げたが、4勝11敗と大きく負け越した。9月場所は、7勝7敗で千秋楽を迎えたが対戦相手の安美錦が休場で不戦勝となり、8勝7敗と勝ち越しを決めた。場所後の10月16日には年寄名跡『君ヶ濱』を前君ケ浜親方(元関脇北瀬海)から取得した[10]。11月場所は、2013年5月場所以来3場所ぶりに三役復帰(西小結)した。その場所は7勝8敗と負け越した。

2014年7月場所は、13日目に左脚を痛め、14日目から左膝屈筋腱損傷により休場することとなった。休場は、2011年11月場所以来3度目。最終的に6勝8敗1休の成績で終えた。9月場所は、2日目から6連勝するなど星を伸ばし、10日目に1年ぶりの勝ち越しを決め、12日目には2013年3月場所以来の二桁10勝目を上げた。

2015年3月場所には、新関脇に昇進。島根県からの新関脇は、1894年5月場所の谷ノ音以来121年ぶりのことである[11]。この場所は、初日から3連敗。4日目の朝の稽古で左脚を痛め、同日から左腓腹筋内側頭損傷、筋肉内血腫により休場することとなった。休場は、2014年7月場所以来4度目[12]。新関脇の白星なしは15日制においては1971年1月場所の福の花以来2例目[13]。7月場所は、序盤から好調をキープし、2013年3月場所以来となる11勝を挙げた。9月場所は、初日に白鵬に初めて勝利。7日目に豪栄道、9日目に稀勢の里の両大関を破ったが、最終的に6勝9敗と負け越した。11月場所では、場所前にの悪化で休場するかと囁かれていただけに[14]、初日から8連敗のあと5連勝したが最終的に5勝10敗の成績で終えた。

2016年3月場所は、7敗目を喫してから6連勝で勝ち越しを決めた。11日目には通算400勝を達成した。返り三役で西小結として迎えた5月場所は、7日目までに6敗を喫し、9日目に横綱・日馬富士を破るなど見せ場は作ったが、最終的には6勝9敗で三役陥落となった。7月場所は、1横綱1大関を破るなど健闘し[15][16]、千秋楽に勝ち越しを決めた。9月場所は、初日から2横綱2大関を破り4連勝[17]。平幕力士が初日から大関以上に4連勝するのは昭和以降初めて[18]。2日連続の金星獲得は、2015年9月場所の嘉風以来、戦後18人目。4日目の照ノ富士戦で決めた逆とったりは、2010年11月場所11日目に魁皇(現・浅香山親方)が日馬富士に決めて以来6年ぶりの決まり手だった[19]。5日目も勝ち、6日目に琴奨菊を破り、6連勝としたが[20]、7日目から13日目まで1勝6敗と乱調、14日目に今場所2度目の逆とったりで白星を挙げ、勝ち越しを決めた。1場所に2度逆とったりで勝利したのは幕内では初となる[21]。2横綱を破ったことが評価され、自身初となる殊勲賞を獲得[22]。本人は、「横綱を倒して勝ち越さないといけない。なかなかできないことだから、うれしい」とコメントを残し、翌11月場所に関脇に復帰することに関して「しっかりやることをやらないと。心の稽古も大事です」と話した[23]。しかし9月場所中(7日目)に痔の切開手術、場所後に根治手術種をうけ、10月の秋巡業を全休。11月場所前になっても傷口がふさがらず、休場も考慮する事態となった[24]。2015年3月場所以来の関脇復帰となった11月場所は序盤から黒星が先行、中日に綱取りを狙う豪栄道に勝利したが、最終的に5勝10敗の成績に終わった。2016年3月場所は8日目の時点で3敗と優勝争いに参加していたが、9日目に4敗目を喫して優勝争いから脱落。それでも残りは11日目以外を勝って10勝5敗。

2017年8月1日の夏巡業豊田場所の時点では下半身の怪我の状態が回復に向かっているため夏巡業の稽古土俵に連日上がり続けており、この日は錦木正代豪風と申し合いを行って2勝2敗であった[25]。9月場所は10日目までで4勝6敗であったが、11日目から残りを4勝1敗として8勝7敗の勝ち越し。この場所の千秋楽の日に八角に「お前、下(十両)で取りたいか」と聞かれ、その言葉で引退という現実が突然、目の前に迫ってきた。「落ちたら次はないと思った。焦りが、やっと出た」と「稽古をしない」などと言われてばかりの隠岐の海は本気になった。秋巡業では「お願いします。ジムに連れて行ってください」と、トレーニング理論をよく知る豪風に頭を下げ、巡業地に着くと真っ先に飲み屋に向いた足をジムへと変えて、3日に1度は通った。そのジム通いは福岡入り後も続けていた。ベンチプレスは当初から70sもアップした[26]。10月6日の秋巡業横浜場所では6番申し合いを行い、4勝2敗[27]。11月場所は改心して稽古に励んだ甲斐あって10日目に勝ち越し。勝ち越しを決めたのは通算900回出場の取組であった[28]。最終的に11勝を挙げて敢闘賞を受賞[29]。自身が幕内で11勝を挙げたのは2015年7月場所以来。

2018年1月場所は11日目に負け越しを確定させるなど不調であり、12日目から残りを2勝2敗としたものの5勝10敗の大敗に終わった。この場所千秋楽は既に負け越していた身であったが、これより三役に登場[30]。場所後の2月3日は、日程が重なったため例年中尊寺で行っていた節分会を欠席。代役として弟弟子の北勝富士が参加した[31]。3月場所は3日目から5連勝して中日まで5勝3敗と白星先行であったが、14日目までは10日目の嘉風戦以外すべて黒星で大きく失速、千秋楽の碧山戦を勝つも7勝8敗の負け越し。9月場所は一進一退の星取りに終始し、場所中「みんなも病んでいるんじゃないですか。稽古場通りのことができなくて」と暗いコメントを行っていたが、14日目に勝ち越しを確定させた。千秋楽は黒星でこの場所は8勝7敗[32]。11月場所は11日目に勝ち越しを決めるなど好調で、場所を11勝4敗で終えて自身1年ぶりの2桁白星[33]。2018年は2017年に続いて年6場所幕内に在位した力士の中で最も番付が上下した力士となった[34]

2019年初場所は西前頭4枚目で迎えた。この場所は9日目に大関・豪栄道を押し倒して尻餅をつかせるなど6勝3敗とここまでは好調だったが、そこから5連敗で14日目、関脇・貴景勝に電車道で持っていかれて負け越しが決定した。千秋楽は小結・妙義龍との熱戦を制して連敗を5で止め、7勝8敗で終えた。東前頭6枚目に番付を下げた春場所は、5日目までは1勝4敗と不振だったが、6日目に大の苦手にしている宝富士を上手投げでねじ伏せると、そこから4連勝で5勝4敗と白星が先行。その後も大崩れせず12日目に7勝目を挙げて勝ち越しにリーチをかけたが、給金相撲の13日目はここまで2勝10敗と絶不調の正代にもろ差しを許して一気に寄り切られ、さらに14日目も妙義龍の首投げに裏返しになってしまった。7勝7敗で迎えた千秋楽はここまで10勝を挙げている嘉風を一気に押し出し、何とか勝ち越しを決めた。東前頭4枚目の夏場所は初日から4連敗を喫するなど場所を通して波に乗れず、千秋楽に琴奨菊に敗れて5勝10敗。西前頭8枚目に番付を落とした名古屋場所は、4日目までは1勝3敗と不調だったが、翌日から3連勝。その後は3連敗もあったが、7勝7敗で迎えた千秋楽、同じく7勝7敗だったを両上手を取って寄り切り、勝ち越しを決めた。


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