障害競走
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当時は施行数が少なく競走距離は2000m前後で行われ、また障害飛越数が3回以下の競走もあるという低レベルな状況であったため、陸軍は良質な軍馬生産のため競走数の増加、競走距離の延長、また高さ120cmの固定障害や置障害を使用するなどの障害競走の高度化を指示した。

1924年に東京競馬場で障害の高さ、幅を変更した際に、騎手の拒否により春季開催での障害競走がすべて不成立になるといった混乱も見られたが、競走数は大幅に増加を辿り、同年には全国で平地競走552回に対し僅か34回であったものが、6年後の1930年には平地競走1049に対して276の競走が施行された。そして1934年には中山に坂路と大規模な障害を備えた馬場が完成し、現在まで続く中山大障害の創設がなされた。
主要競走(1940年、呼馬)

開催場競走名距離1着賞金
中山
中山農林省賞典障碍(春)芝4100m10000円
京都古呼馬障碍特別(春)芝4030m6000円
東京芝4050m
京都古呼馬障碍特別(秋)芝4030m
東京芝4050m
小倉小倉農林省賞典障碍芝4040m7000円
中山中山農林省賞典障碍(秋)芝4100m10000円


参考 帝室御賞典15000円、東京優駿10000円、目黒記念6500円、中山四歳牝馬特別5000円

※「障碍」は1945年当用漢字告示まで使用されていた表記である。当用漢字に「碍」が採用されず、1956年には国語審議会報告「同音の漢字による書きかえ」で「障害」への書き換えが指示された。中央競馬の競走では1970年より「碍」が「害」に、「盃」が「杯」(大阪杯など)に切り替わった。
施行状況

年度競走数2300mまで2400m - 2980m3000mから平地競走数
1926年2828%57%15%697
1929年14637%51%12%1000
1932年35741%54%5%1125
1935年4034%87%9%1075
1937年4780%89%11%1000
1939年53669%31%953
1941年59864%36%954

戦後

中央競馬は1946年秋から再開したが、戦中に接収された影響で東京競馬場は本馬場も含めて全て畑、京都競馬場も固定障害が全て撤去されているなど、障害馬場の復旧には時間を要した。この年はすべて4歳馬の競走となり障害競走は行われていない。1947年春より中山競馬場で数レース行われ、秋には京都競馬場、1948年春には東京競馬場の障害馬場が完成し、その後全ての開催場で障害競走が復活した。なお、函館、札幌競馬場では1950年代半ば以降障害競走は再び休止されている。

戦後は勝利に恵まれない平地競走馬を移行させるという目的で行われていたが、戦後の混乱による馬資源の不足もあり、量の不足と質の低下を招いた。1940年前後は5歳、6歳となった競走馬はアラブ系では大半、サラ系でもその多くが障害入りしたが、戦後は賞金水準の高い南関東を筆頭に多くの古馬が地方競馬に流出し、障害入りする馬が著しく減少した。京都大障害をはじめとする障害重賞の創設や出走条件の緩和などの振興策によって改善されたものの、平地競走の出走数の急激な増加の前に水をあけられ、慢性的な頭数不足は近年になるまで完全には解消されなかった。

アラブ系障害競走も復活したが、中央競馬のアラブ系競走馬は、昭和20年代半ばより抽選馬のみ出走可能と改められた事もあって在厩頭数自体が少なく、障害競走に出走する馬はさらに少なかった。また、アラブ系障害には戦後しばらくの間は重賞競走が存在しなかったが[注釈 2]1956年にアラブ系障害競走の振興のため阪神競馬場アラブ大障害が創設された。同年はサラブレッド系障害169競走に対して、アラブ系は153競走が行われ、最も施行された1958年には175競走となり、176競走行われたサラ系とほぼ同数の競走が施行された。同じ競馬場で1日に3競走(アラブ・サラ系)の障害競走が行われる事もあったが、通常は1日2競走程度の実施となっていた。

アラブ系障害競走には、1960年中山アラブ障害特別及び東京アラブ障害特別が創設されたが、前述の理由により、出走頭数がサラ系障害競走と比べて揃わず、メンバーも固定化されていった事から、ファンの興味も低下していった。1965年にはアラブ系障害競走はわずか66競走が施行されるにとどまり、同年をもってアラブ大障害、中山アラブ障害特別、東京アラブ障害特別はいずれも廃止。翌1966年は8競走を施行し、これを最後にアラブ系障害競走は全廃された。

障害競走の施行距離、障害の難易度は、戦後に短縮、易化された。1950年代以前は中山大障害などの一部の重賞競走を除いて距離、障害数共に少なく、1956年時点では障害競走の平均施行距離は2400mだった[注釈 3]。その後も芝コースの幅員増やダートコース新設の影響で障害コースが狭まり、スピード化に対する安全策から障害も小型化された。また騎手の負担重量の見直しも行われた[注釈 4]

1960年代後半になると、サラ系障害競走についても強い馬が出なくなり、人気が低下していった。競走馬生産頭数の増加に伴い平地競走の増加を求める声が上がり、関西では、不人気の繋駕速歩競走が廃止されると共に、障害競走についても競走数の削減が行われ始めた。平地競走の充実化が進むのに引き換え、障害競走に対しては賞金面での優遇にもかかわらず、出走頭数の増加が止まっていた。競走数の削減に合わせて障害専門の騎手も減り、障害競走に騎乗する騎手も大半が見習い騎手となり、技術の未熟化も進んだ。

1970年代に入ると障害を大きく、負担重量を増やしてスピードを抑える安全策に転換されたことから、一般競走の距離延長、東京の襷コースの大障害コースとするなどの障害の高度化が行われた。競走距離については1978年には平均距離が3000mを越えた。

しかし、以後も障害競走の競走数は減少の一途を辿り、サラ系障害競走は1966年にアラ系障害競走の廃止に伴い最多の250競走施行されたが、1980年には175競走、そして1997年には129競走まで落ち込んだ。重賞競走については、1984年に平地競走はグレード制導入に伴い全国発売競走となったが、障害競走については見送られ、平地競走との差が生じることになった。

そこで1999年より日本中央競馬会は以下のような番組改革を行った。

障害競走のグレード制導入

新潟障害ステークス及び小倉障害ステークスの重賞格上げ(新潟ジャンプステークス小倉サマージャンプ

イルミネーションジャンプステークスなどの特別競走の増加

400万以下の廃止(日本の競馬の競走体系#中央競馬も参照)

重賞、特別競走に「ジャンプ」の名称を使用(中山大障害を除く)

他にも障害専用ファンファーレ(三枝成彰作曲)の導入や特別イベントとしてレース終了後に騎手が実際にコースを案内するミニツアーも行い、2000年より中山グランドジャンプが障害競走としては世界初となる国際招待競走となった(中山大障害も2011年から国際競走となっている)。

この改革により、障害にも飛越の安全性向上のため、踏切板を設置し、障害の側面に馬が足をぶつけても怪我をしないようにラバー加工が施された。

その後2000年の中山大障害では創設以来初となる16頭フルゲートで行われるなど競走頭数が大幅に増加し、改革後は大半の競走がフルゲートで施行されている。しかしながら、後述するように障害に騎乗可能な騎手が不足気味であり、騎手の確保問題に起因する出走取消も発生している。この問題に鑑み、2014年からは第三場(2020年までの冬季小倉競馬および夏季北海道開催は除く)での開催が基本とされることになった。

なお、地方競馬の障害競走については、各地で置き障害や襷コースを使用した障害競走が施行されていたが、1974年に廃止された春木競馬場を最後に現在は行われていない(競馬法施行令第17条の4により施行することはできる)。船橋競馬場や、旧名古屋競馬場など一部の地方競馬場には、障害コースの名残が見られる。
施行状況

2020年現在、年間125競走施行される[4][5][6]

馬のクラスは未勝利とオープンの2つのみである(かつては、未勝利、400万円以下条件、オープンと3つのクラスがあり、さらに以前には、条件戦のクラスがさらに数クラスに分類されていた)。他国で見られるハードル・ノービスの競走は行われない。賞金は競走格に応じて完全に固定されている。

競走はかつては東西主場で1日について1レースづつ(東西主場で競走が行われてる場合は第三場では競走を行わなかった)で、普通競走の場合は昼休み前に割り当てられていた(第4レースないしは第5レース)が、2014年以降、障害競走が第三場中心で行われるようになり、障害競走が2レースの場合でも同一場で障害競走が組まれるようになったため、主に土曜日の開催日で1日に障害競走が2レース行われる場合がある。

1980年代の終わりまでは、稀に1日2レースの障害競走が行われる日があり、その時は、平地競走を1レース挟んだ形で、第3競走と第5競走または第4競走と第6競走というように行われていた。

2014年以降、1日に2レースの障害競走が行われる場合は、昼休みを挟んで第4競走と第5競走の連続で行われるパターン(1月 - 4月、11月 - 12月の期間)もしくは、第1競走に行った後に平地競走を2レース挟んで昼休み前に第4競走で組まれるパターン(5月 - 10月[注釈 5])のどちらかで行われている。

2019年以降、暑熱対策で、夏季競馬の全期間と、秋季競馬のうち4回阪神・4回中山の期間中は、原則として、1日2鞍施行時と、重賞・特別等を除き、障害競走は原則として、第1競走に設定される。

特別競走や重賞競走の場合は大半が第8競走に割り当てられている。ただしJ・G1として施行される中山グランドジャンプは第11競走、中山大障害は第10競走に組まれているほか、2023年の夏季競馬での暑熱対策など「人馬の負担を軽減する」目的から新潟ジャンプステークス小倉サマージャンプについては、重賞競走ではあるが第4競走に編成された[注釈 6]。さらに2024年は第2回新潟競馬の開催が暑熱対策のために昼間時間帯の開催休止が実施される事となり、当該開催日程に組まれている新潟ジャンプステークスはメイン競走終了後の16時50分発走となり、第9競走に編成された(小倉サマージャンプは前年同様に第4競走で実施[注釈 7][10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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