なお木材は杉だけとは限らず杉障子も含めて板障子とも呼ばれるが、杉障子という用語が良くでてくることから杉を使う場合が多かったと思われる。なお、内裏紫宸殿の賢聖障子も板のパネルに絹を張り、その上に絵を描いたものであるが[40]、杉障子・杉戸は絹などを貼らずに、板に直接絵を書く。画像15は『慕帰絵詞』にある杉障子である。ここでは建物の外周に使われており、その杉戸には鳥や草木が描かれている。馬もよく描かれる。 一般的にした半分くらいにガラスがはまっていて、その上に取り付けた障子(内障子)が上げ下げできるようになっているもの。本来の雪見障子とは、下半分にガラスがはまっているだけで、上げ下げできる障子の付かないものだった。[49] 縦横方向の組子の間隔が広く、荒々しいイメージの障子[50]。 障子の下部に腰板を張ったデザインの障子。腰の部分に横格子を入れた横格子付障子などがある[51]。 縦方向の組子の間隔が狭く、多く入っているデザインの障子[50]。 障子が閉まった状態で猫が出入りできるように、内障子(小障子ともいう)を付けたもの[49]。ガラスをはめているものもあり、雪見障子ということもある[51]。 縦方向の組子を寄せるデザインとしている障子[51]。 縦横の組子を方形になるように組んだデザインの障子[51]。 全面が格子組になっていて腰板がない障子[52]。 横方向の組子の間隔が狭く、多く入っているデザインの障子[50]。 平清盛の六波羅泉殿の指図 鎌倉時代以降の絵巻に現れる明障子はちょうど画像16 当時の明障子に張られたのは和紙とは限らず、生絹(すずし)も使う[40][注 3]。一方で、その当時から障子紙は現在のもの程度の薄い和紙が使われていたという記録もある。清盛の外孫にあたる東宮、後の安徳天皇が満一歳なって平清盛の屋敷を訪れたときに、清盛に教えられるまま指につばをつけて明障子に穴をあけたことが『山槐記』に記されている[54][55]。感涙のあまり清盛はこの障子を保管するように命じた[56]。 鎌倉時代の絵巻に現れる明障子はちょうど画像19 鎌倉時代以降、蔀や舞良戸の内側に現在の障子に似た明障子がセットで用いられることが多くなるが、鉋が未発達で上下の溝を掘ることが大変だったために、ひとつの溝に二枚、三枚の明障子を填めることがある。これを一本溝子持、子持障子という[58]。子持でない場合もあるが、溝を掘る手間の削減ということで合わせて紹介する。 溝ひとつに明障子一枚なら子持障子とは云えないが、問題は明障子の溝が2本ではなく1本しかないことがある。実例は東寺太子堂の格子戸と明障子の組み合わせである。格子遣戸は二枚でそれぞれ溝を持つが、明障子は1枚だけである。外が蔀ならば明障子二枚とも採光出来るが、外が遣戸なら片側しか採光出来ない。明障子はその片側だけ用意している[59]。 画像18 三枚のケースは奈良の十輪院の本堂正面にある(画像19 四枚のケースは最古の方丈建築とされる京都・龍吟庵の方丈である。もっとも現在の四枚組みの襖やショウジでも溝は2本なので1本溝に二枚のケースと大差無いのだが、龍吟庵の四枚は中央の二枚が幅広で、両端の二枚の幅が短く、開くのは中央の幅広二枚だけで、両端の短い障子は実際にはほとんど動かさない[62][63]。その点は十輪院の本堂正面と同じだが、この場合は両端の短い障子は溝を共有する相方が常にあるので、十輪院のように心張り棒を使わずに済む。 なお、画像18 先に平安時代から鎌倉時代には樋は遣戸と同じ幅で、2本の溝を掘ると二枚の遣戸の間に溝の土手分の隙間が出来、そのため法隆寺・聖霊院などでは遣戸を閉じたときに重なる部分に方立(ほうだて)、つまり細い柱を立ててその隙間を埋める[31]と書いたが、同じ聖霊院の子持でない明障子は画像20 なお、画像20 現在のショウジはガラス戸や雨戸で保護されている。例えば和室のショウジの外側は縁側であり、その縁側の外側はガラス戸と雨戸である。ガラス戸が出来る前は木製の雨戸だけだった。その雨戸が登場したのは桃山時代で、記録に登場するのは豊臣秀吉の聚楽第の平面図からである[65]。なお、現存遺構としては二条城黒書院や大広間である。
雪見障子(上げ下げ障子)
荒組障子(あらぐみしょうじ)
腰付障子(こしつきしょうじ)
縦(堅)障子(たてしげしょうじ)
猫間障子(ねこましょうじ)、摺り上げ障子(すりあげしょうじ)
吹寄障子(ふきよせしょうじ)
枡組障子(ますぐみしょうじ)
水越障子(みずこししょうじ)
横繁障子(よこしげしょうじ)
現在の障子の原型
明障子16:極楽坊の格子遣戸と明障子17:聴秋閣の腰高障子。中央の開いているその両側が腰高障子。
腰高障子
子持障子18:元興寺極楽坊の子持障子
一枚のケース
二枚のケース
三枚のケース19:十輪院の正面
四枚のケース
鴨居、敷居の樋20:法隆寺・聖霊院の明障子の縦框
雨戸
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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