隈部親永
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像の高さは5メートル、台座をあわせると10メートルで、本妙寺の清正公像と並び県内最大級の武士像という[4][5]。
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注釈^ 姓は「うちくが」と読む。鎮房の妹・菊姫が嫁いでいた内空閑氏第8代当主・内空閑鎮資の養嗣子。「鎮」の字は大友義鎮(宗麟)から賜ったものとも考えられるが、内空閑氏でも代々用いられている。詳しくは熊本県HP[1]を参照。
^ この時所領は山鹿郡のみとなったとする資料もある(『戦国武将・合戦事典』)。
出典^ “内空閑鎮房の墓(うちくがしげふさのはか) 山鹿市”. 熊本県 (2009年12月19日). 2013年5月1日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。2013年5月1日閲覧。
^ 隈部 1973, p. 141.
^ 文化庁 ⇒平成21年5月15日 史跡等の指定等について
^ “県内最大級の武士像が完成しました(隈部親永公像)”. 2012年8月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月6日閲覧。
^ あんずの丘 ⇒【熊本県】山鹿市特産工芸村 あんずの丘 。お知らせ&イベント
参考文献
峰岸純夫・片桐昭彦編『戦国武将・合戦事典』(吉川弘文館、2005年) ISBN 4642013431
阿倍猛・西村圭子編『戦国人名事典』(新人物往来社、1987年) ISBN 4-404-01412-0
松本寿三郎他『熊本県の歴史』(山川出版社、1999年) ISBN 4-634-32430-X
『熊本県史 総説編』(熊本県、1965年)
『日本歴史地名大系第44巻 熊本県の地名』(平凡社、1985年(昭和60年)3月初版)
隈部親養『文献集成 清和源氏隈部家代々物語 全』青潮社、1973年。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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