陸上競技
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古代ギリシアの中期オリンピックでは、スタディオン走(短距離走)に加え、ディアウロス走(中距離走)、ドリコス走(長距離走)、五種競技円盤投やり投走り高跳びも行われた[3][注 1]。なお、ギリシアではこのほかにもネメアー大祭イストミア大祭ピューティア大祭といった大競技大会が開催されていた[4]

他にもケルト人チュートン人、ローマ帝国を倒したゴート人といった民族も陸上競技の大会を開き、人気を集めていたようである。しかし、これらの民族では陸上競技は軍事鍛錬と関連したものであるのが一般的で、それほど大きく組織立ったものとはならなかった。中世には、貴族の子息たちが乗馬、馬上槍、剣術などの鍛錬に加え、ランニング、跳躍、レスリングなどの鍛錬を行っていたようである。競争相手のライバルや友人たちとの間で競技会を開催することも公式、非公式を問わず、広く行われていた。

時代の枠を越えて、ヨーロッパ全土で多くの陸上競技スポーツが親しまれていた様子が確認されている。陸上競技は、ルネサンス以降に近代スポーツとして発展し、1896年に開催された第1回アテネオリンピックをきっかけとして、世界各国へと普及した。陸上種目の多くはその起源を古代にまで遡るものが多く、古代ギリシアで既にその競技種目としての形式が確立されていた。陸上競技は、1896年の第1回近代オリンピック大会でも実施され[5]、常に実施競技としてありつづけるとともに、同じく第1回大会から常に実施されていてオリンピック前半の花形競技とされる競泳と並んで、オリンピック後半の花形競技とされる。陸上競技と水泳については、オリンピック以外でも総合的なスポーツ大会で競技ナンバーが1番と2番になることが多く、陸上競技の棒高跳びや投てきを例外としても、基本的には道具や対戦相手を必要とせず、己の身体のみで人類の限界に挑むと言う普遍的なスポーツであることからその存在価値が重視されている。格闘技や球技等、プロとしてお金を稼ぐことを目的とする商業スポーツと比べて、その存在意義も異なる。ただし20世紀前半には国際競技大会に出場する選手はアマチュアでなくてはならないという厳格な規定が存在したが、20世紀後半に入ると東側諸国においても西側諸国においても徐々に有名無実化していき、1990年代初頭にはこうした規定は存在しなくなった[6]。19世紀には陸上競技は男性のものであり、オリンピックにおいても男性のみ参加となっていたが、1921年に国際女子スポーツ連盟が創設されると女子陸上競技大会も開催されるようになり、1928年のアムステルダムオリンピックにおいて女子陸上がオリンピックの種目となった[7]

国際競技統括団体ワールドアスレティックス1912年に創設され、1983年からは、オリンピックとは別に陸上競技のみの大会として、世界陸上競技選手権大会を開催するようになった[8]。世界陸上は世界有数のスポーツイベントの1つで、2009年のベルリン大会では約3300万人がイベントを視聴したとされる[9]。他に世界室内陸上競技選手権大会ヨーロッパ陸上競技選手権大会なども開催されている。また、アジア競技大会など大陸別の競技大会においても陸上競技は必ず開催され、花形競技の1つとなっている。特にオリンピックを始め、主要な陸上競技大会の期間中は高い注目を集めるものの、スポーツ全般から見ると多くの国で一般からの関心の度合いはやや低くなりがちである。

トラック&フィールド競技では、世界各地の競技会を転戦して総合成績を競うサーキット大会IAAFグランプリが1985年に創設された。IAAFグランプリはIAAFゴールデンリーグ・IAAFスーパーグランプリを経て、2010年から両者が統合されIAAFダイヤモンドリーグとなり[10]IAAFワールドチャレンジ(2020年よりワールドアスレティックスコンチネンタルツアー)とともに毎年春から夏にかけて開催されている[6]。一方マラソン競技においては世界各地で大規模なマラソン大会が行われており、なかでも2006年よりボストンマラソンロンドンマラソンベルリンマラソンシカゴマラソンニューヨークシティマラソンの5大会とオリンピック・世界陸上の計7大会でワールドマラソンメジャーズが開催されるようになった[11]。さらに2013年大会より、東京マラソンがワールドマラソンメジャーズに加入し、計8大会となった[12]
イギリス

イギリスでは13世紀から16世紀にかけてスポーツを楽しむことに国家的な制限を課していた。これはアーチェリーの鍛錬に支障が出ないようにするためであった[13]。この制約が17世紀になって除かれた後、イギリスではスポーツが再び盛んになった。陸上競技組織の活動は19世紀になって行われるようになった。これには学校においてスポーツ体育が実施されるようになった影響もある。正規の学校における陸上競技が取り入れられた初出としてイギリスのサンドハースト王立陸軍士官学校において1812年1825年に行われたとの説もあるが、これを補強する証拠は今のところない。記録に残っている最古の会合は同国のシュロップシャー州シュルーズベリー1940年に王立シュルーズベリー校が開催したもので、当時1838年から1841年まで生徒として在籍していたCTロビンソンが60年後に複数の手紙に当時の詳細について書き残している。

1868年に刊行された『最新陸上競技』によれば、当時の陸上競技のほとんどの競技はハンディキャップ・レースだったという[14]。陸上競技はギャンブルの対象であり、観客は記録よりも勝ち負けとレースの過程や公正さを重視した。そのため、資格を持ったハンディキャッパーが競技者の実績によってスタート位置を調整するなどのハンディキャップを付け、白熱したレースを演出していた。一方、プロフェッショナルランナーを排除し、紳士のスポーツによる人格形成を目的としたアマチュア陸上クラブが1866年にロンドンで組織され、常設の陸上競技場による競技が行われた[14]。陸上競技のハンディキャップ・レースはオリンピックなどの公式レースでも20世紀前半まで行われたが、スポーツが競戯からアマチュア・ルールによる近代スポーツへと変化する過程で消滅した。
日本

日本では1873年(明治6年)3月21日に、東京築地にあった海軍兵学寮のイギリス人教師が開いた「競闘遊戯」が最初の陸上競技大会である[15]。競闘遊戯はathletic sportsの訳語で、雀雛出巣(すずめのすだち、150ヤード走)、燕子学飛(つばめのとびならい、300ヤード走)、大鯔跋扈(ぼらのあみごえ、走高跳)などの種目があった[15]。また同年10月に開成学校東京大学の源流)にて明治天皇隣席の下で行われた「体操御覧」の1種目「行飛」が競走であった可能性がある[16]。本格的に陸上競技が日本人の間で行われるようになるのは、1875年(明治8年)に東京英語学校(後の東京大学)に着任したフレデリック・ウィリアム・ストレンジによる普及活動以降である[17]。ストレンジはイートン・カレッジの出身で、陸上競技とボート競技を得意とし、余暇にこれらを実践して学生の関心を惹き、普及させた[17]1883年(明治16年)には東京大学の3学部と予備門合同の陸上運動会が開かれ、以降東大の名物となった[18]。この運動会では後に藤井實が100mと棒高跳で世界記録を樹立した[19]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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