陶淵明
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陶淵明は同時代においては、「古今隠逸詩人の宗」[13]という評に見られるように、隠逸を主題とする一連の作品を残したユニークな詩人として、南朝梁の昭明太子の「余、其の文を愛し嗜み、手より釈く能はず、尚ほ其の徳を想ひ、時を同じくせざるを恨む」[14]のような一部の愛好者を獲得していた。一方、修辞の方面では、魏晋南北朝時代の貴族文学を代表するきらびやかで新奇な表現を追求する傾向から距離を置き、飾り気のない表現を心がけた点に特徴がある。このような修辞面での特徴は、隠逸詩人としての側面とは異なり、鍾エが紹介する「世、其の質直を嘆ず」の世評のように、同時代の文学者には受け入れられなかったが、唐代になると次第に評価されはじめ、宋代以降には、「淵明、詩を作ること多からず。然れどもその詩、質にして実は綺、?にして実は腴なり」[15]のように高い評価が確立するようになる。

陶淵明には詩のほかにも、辞賦散文に12篇の作品がある。「帰去来の辞」や「桃花源記」が特に有名である。前者は彭沢令を辞任した時に書かれたとされ、陶淵明の「田園詩人」「隠逸詩人」としての代表的側面が描かれた作品である。後者は、当時の中国文学では数少ないフィクションであり東洋版のユートピア理想郷の表現である桃源郷の語源となった作品として名高い。他にも自伝的作品とされる「五柳先生伝」や、非常に艶やかな内容で、隠者としての一般的なイメージにそぐわないことから、愛好者である昭明太子に「白璧の微瑕」と評された「閑情の賦」などがある。
著名な作品

飮酒二十首 其五原文書き下し文通釈
結廬在人境廬(ろ)を結びて人境に在り人里に家を構えているが
而無車馬喧而も車馬の喧しき無ししかし来客が車や馬の音にのって騒がしく訪れることもない
問君何能爾君に問う 何ぞ能く爾(しか)ると「なぜそんなことがありえるのか」と問われるが
心遠地自偏心遠ければ 地 自ずから偏なり心が世間から遠く離れているから、住んでいる土地も自然に人少ない趣きにかわるのだ
採菊東籬下菊を採る 東籬(とうり)の下東の垣根の下で菊を摘むと
悠然見南山悠然として南山を見る遠く遥かに廬山が目に入る
山氣日夕佳山気 日夕に佳(よ)し山の光景は夕方が特に素晴らしい
飛鳥相與還飛鳥 相ひ与に還る鳥たちが連れ立って山の巣に帰っていく
此中有眞意此の中に真意有りこの光景に内にこそ、真実の境地が存在する
欲辯已忘言弁ぜんと欲して已に言を忘るしかし、それをつぶさ説き明かそうとすると、言葉を忘れてしまうのだ

訳・解説
※近年刊の全訳注解のみ。


『陶淵明全集』
松枝茂夫和田武司共訳注、岩波文庫(上下) 1990、ワイド版1991・新版2002

『陶淵明詩解』 鈴木虎雄訳注、平凡社東洋文庫〉 1991、ワイド版2008(解説小川環樹。初の全注解、元版は弘文堂

『陶淵明集全釈』 田部井文雄・上田武共訳著、明治書院 2001

『陶淵明を読む 一海知義著作集 第1巻』 藤原書店 2009

元版『陶淵明 文心雕龍 世界古典文学全集 25』 筑摩書房、1968、新版1982・2005ほか(後者は興膳宏訳注)


新釈漢文大系 詩人編 1 陶淵明』 釜谷武志訳著、明治書院、2021

元版『陶淵明 鑑賞中国の古典13』 都留春雄と共訳著、角川書店、1988


『陶淵明全詩文集』 林田愼之助訳著、筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2022

伝記

※近年刊行(再刊)を主に記載。

吉川幸次郎 『陶淵明伝』 ちくま学芸文庫、2008。解説一海知義初刊版 新潮叢書(1956:昭和31年)。新潮文庫中公文庫で再刊

『陶淵明を語る 一海知義著作集 第2巻』 藤原書店、2008

前半部は、一海知義『陶淵明?虚構の詩人』 岩波新書、1997


和田武司 『陶淵明伝論?田園詩人の憂鬱』 朝日選書、2000

旧版は、松枝茂夫との共著 『陶淵明?隠逸詩人』〈中国の詩人2〉集英社(1985:昭和60年)

李長之『陶淵明』 松枝茂夫・和田武司訳(筑摩叢書、1976:昭和51年)、伝記、巻末に陶淵明の全作品原文も収録


沼口勝 『桃花源記の謎を解く?寓意の詩人陶淵明』〈NHKブックス日本放送出版協会、2001

岡村繁『陶淵明?世俗と超越』 NHKブックス(1974:昭和49年)


釜谷武志 『陶淵明 〈距離〉の発見』 岩波書店<書物誕生>、2012

『陶淵明 中国の古典』 角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシックス、2004。入門書の小著


石川忠久 『陶淵明とその時代』 研文出版、1994、増補版2014。「内篇」(前半部)が、学術研究

『陶淵明詩選?「田園詩人」陶淵明の生涯と作品』 日本放送出版協会〈シリーズ 漢詩をよむ NHKライブラリー〉、2007 - 入門書


下定雅弘 『陶淵明と白楽天 生きる喜びをうたい続けた詩人』 角川学芸出版〈角川選書〉、2012

沓掛良彦 『陶淵明私記 詩酒の世界逍遥』 大修館書店、2010※日本語の訳注書・伝記研究は、詩人文人の中でも特に多く、日本文学・文化史(特に与謝蕪村池大雅等の文人画家が著名)への影響を論ずれば、大部の著作を数冊要する。

脚注[脚注の使い方]^ a b 沈約宋書』隠逸伝の記述より。ただし生年および死亡時の年齢については多くの異説がある。
^ 南朝梁昭明太子蕭統の「陶淵明伝」および『宋書』隠逸伝より。名前と字については諸説があり、『晋書』隠逸伝では「陶潜、字元亮」、『南史』隠逸伝では「陶潜、字淵明。或云、字淵明、名元亮」とする。
^ 張維安・劉大和 編『客家映臺灣:族群文化與客家認同』桂冠、2015年12月16日、110-111頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 9789577306371。https://web.archive.org/web/20220104100621/http://hs.nctu.edu.tw:3000/lau7_su1_tiau5_bok8_uploads/1620876779edd975.pdf。 
^晋書』陶侃伝には、陶侃の子孫の幾人かが記録されているが、そこには陶茂の名前はない。
^ 「寒門」とは貧しくいやしい家柄のこと。『大漢和辞典』巻3のP,1074より「単門」とは親戚や援助者の少ない家のこと。『大漢和辞典』巻2のP.1112より
^文選』李善注より。鎮軍将軍を劉牢之とし、隆安3年(399年)のこととする異説もある(陶?など)
^ 「帰去来の辞」序によると、程氏に嫁いでいた妹の死が理由とある。「陶淵明伝」や『宋書』『南史』本伝によると、郡の督郵が巡察に来るので衣冠束帯して待つよう下吏に言われたのに対し、「我、五斗米の為に腰を折りて郷里の小人に向かう能わず(僅かな俸給のために、田舎の若造に腰を折るのは真っ平だ)」と憤慨し、即日辞職・帰郷したという。
^ 「戊申歳六月中 火に遇う」
^ 「居を移す」
^ 「従弟敬遠を祭る文」
^ 吉田豊『中国古典百言百話1 菜根譚』(PHP研究所、1987年)p.176.
^ 『中国古典百言百話1 菜根譚』p.176。湯浅邦弘『ビギナーズ・クラシックス中国の古典 菜根譚』(角川ソフィア文庫、2014年)pp.171-172.
^ 南朝梁の鍾エ『詩品』中品


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