永元元年(499年)に三層の楼閣を建て、弟子の指導をするほか、天文・暦算・医薬・地理・博物など多様な研究に打ち込んだ。また仏教に深く傾倒している。王朝が交替すると梁の武帝は陶弘景の才知を頼り、元号の選定をはじめ吉凶や軍事などの重大な国政に彼の意見を取り入れた。このため武帝と頻繁に書簡を交わしたので「山中宰相」と人々に呼ばれるようになる。年を負う毎に名声が高まり王侯・貴族らの多くの名士が門弟となった。『文選』の編者として知られる昭明太子も教えを受けたひとりである。
多岐にわたる著述を著しその数44冊に上った。
享年81(『南史』では享年85)。諡は貞白先生。 陶弘景は前漢の頃に著された中国最古のバイブル的な薬学書『神農本草経』を整理し、永元2年(500年)頃に『本草経集注』[1]を著した。この中で薬物の数を730種類と従来の2倍とした。また薬物の性質などをもとに新たな分類法を考案した。漢方医学における薬学の祖とも呼ばれ、いまなおこの分類法は使われている。唐代に蘇敬 道教の一派である上清派
業績
医薬
道教
書?鶴銘拓本
王羲之や鍾?に師法し淡雅な書風だった。陶弘景が書したとされる「?鶴銘」の碑文は後世に評価が高くその革新的な書法に啓発された書家は数多い。とりわけ北宋の黄庭堅は大きな影響を受け、独特のリズムを持つ革新的な書法を完成させた。また梁武帝と書簡の中で書論を交わしているが、この書論は唐代になって張彦遠の『法書要録』に収められ王羲之の書を最高位とする後世の評価を決定づけることになった。
主な著作
『真誥』
『登真隠訣』
『真霊位業図』
『養生延命録』
『本草経集注』
『補闕肘後百一方』
『華陽陶隠居集』
脚注[脚注の使い方]^ のちに散逸してしまったが、明治期に敦煌にて写本(敦煌文献)が見つかり現在龍谷大学の大宮図書館に所蔵される
参考文献
陳舜臣『中国傑物伝』(『陳舜臣中国ライブラリー』28)集英社、2001年、ISBN 4081540284
吉川忠夫、麥谷邦夫編『眞誥研究 譯注篇』京都大学人文科学研究所、2000年
砂山稔、尾崎正治、菊地章太編『道教の神々と経典 講座道教 第1巻』雄山閣出版、1999年
伝記資料
『梁書』巻51(列伝第45)
外部リンク
⇒仙学研究舎
真柳 誠 ⇒3巻本『本草集注』と出土史料 (リンク切れ 2020年6月3日)
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