陳水扁
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2007年5月10日、陳水扁は記者団に対し、中国共産党中央委員会総書記胡錦濤に台湾訪問の正式要請を行ったことを明らかにした。今回の要請の目的が、台湾と中国の両政府の直接対話にあるため、従来の「台湾は独立した国家で中国の一部分でもなければ、一地方政府でもないことを認めよ」というような前提条件を付けていないことも表明し、胡主席に「台湾の現実を理解してほしい」と言いたいとも話した。台湾と中国の統一には東西ドイツの統一モデルを参考にしたいとし、中国側に参考にしてもらいたいとの希望を語った[6]

同年10月10日に久しく行われていなかった軍事パレードを開催し、独力で開発した最新兵器を披露して中国政府を牽制した。スピーチでは「中国と台湾はそれぞれ独立した国であり、これは否定しようのない事実である」と発言した。

2001年1月1日より「小三通」と称し、廈門金門島の間で客船が運航され中国との三通を限定的に実行し、その後さらなる両岸貿易促進が熱望されていたが、陳水扁政権内では実現しなかった。また、中国進出に代わる政策として「南向政策」を発表、台湾企業に対し東南アジア諸国への投資を要望した。2006年1月1日には中国との経済関係を「積極開放、有效管理(政府が積極的に開放することで効果的な管理をする)」から「積極管理、有效開放(政府が積極的に管理することで効果的な開放をする)」への転換を明言した。
総統退任後の逮捕・公判
逮捕

2008年5月20日に総統を退任し、憲法が保障する総統の不起訴特権がなくなったことから、検察当局が陳水扁による私的流用疑惑の本格的な捜査を開始すると発表し、陳に対し出国制限措置がとられた。

さらに、台湾のマスコミによって、不明の資金をスイスなどに送金し蓄財しているという資金洗浄が新たに浮上し、同年8月15日陳は妻とともに民進党を離党した。18日には、陳の海外渡航禁止措置がとられた。

同年11月11日、総統府機密費流用及び資金洗浄容疑などにより台湾最高検に逮捕され、台北地方法院に移送された[7]

移送の際、陳は手錠を頭上に掲げ、拘束を馬英九政権による「政治的弾圧」だと訴えるとともに、連行時に暴行を受けたと主張したが、病院で診察の結果問題はないと判断され、台北地方法院は12日に勾留を決定、台北看守所(拘置所)に陳の身柄を移送した。

陳は逮捕に抗議してハンガー・ストライキを決行し、16日、健康状態の悪化により病院に搬送された(その後も二度ハンストを決行している)。
起訴

台湾最高検は2008年12月12日、陳を(1)総統府機密費の不正流用(2)海外口座を利用した資金洗浄(3)台北市郊外の土地開発をめぐる収賄(4)台北市内の公共工事の入札をめぐる収賄?の4つの事件について、マネーロンダリング(資金洗浄)防止法違反などの罪で起訴した[8]

13日、台北地方法院はいったん保釈を認める決定を下した。しかし、検察当局の不服申立てを受けて台北高等法院が審理のやり直しを命じ、30日、台北地方法院は保釈を取消したため、結局、陳の身柄は一度も解放されることなく、再び台北看守所に移送された[9]

第一審公判中の2009年5月5日、台湾最高検は、別の収賄事件で陳を追起訴した。
公判
第一審

第一審の初公判は2009年1月19日台北地方法院で開かれ、陳は「このような辱めは受け入れられないし、死んでも死にきれない」と無罪を主張、約1時間にわたって立ったまま自ら弁論を行った[10]。陳の勾留延長をめぐる裁判も行われたが、3月3日5月11日7月13日の3度にわたり、いずれも勾留延長の決定がなされた。

同年9月11日、台北地方法院は、陳に対し、総統府機密費の横領収賄・マネーロンダリング(資金洗浄)などの罪で有罪認定し、無期懲役、罰金2億台湾元(約5億6000万円)、終身公民権?奪の判決を言い渡した。

また、事件を主導したとされる呉淑珍夫人にも無期懲役、罰金3億台湾元、終身公民権?奪の判決を下した。長男・陳致中も懲役2年6月、側近の馬永成・前総統府副秘書長も懲役20年など、共犯として起訴された12人全員が有罪判決となった。
控訴審

陳は一審判決を不服として控訴し、改めて全面無罪を主張した。

控訴後まもない2009年9月22日、台湾最高検は、別件の外交機密費の横領の罪で陳を追起訴し、邱義仁元総統府秘書長も起訴した。

2010年6月10日、台北高等法院は、陳に対し、一審判決の量刑を懲役20年、公民権剥奪10年に減刑する判決を下した。呉淑珍夫人に対しても懲役20年に減刑する判決が言い渡された[11]
上告審

2010年11月11日最高法院(最高裁)は、陳に対し、土地取引に絡む収賄事件で懲役11年、罰金1億5000万台湾元(控訴審判決を減刑)を言い渡した。人事に絡む収賄事件では懲役8年の控訴審判決を維持した。機密費流用とマネーロンダリングの事件については控訴審に差し戻した[12]

収賄事件の判決確定により、同年12月2日、陳は収監された。
差戻審

2011年8月26日、台北高等法院で差戻審判決があり、機密費流用事件について逆転無罪判決を下した。機密費に関する文書偽造罪については控訴審判決よりも10ヶ月少ない懲役1年8ヶ月、マネーロンダリングについては懲役2年となり、総合すると、陳は懲役2年8ヶ月および300万元の罰金となった。他方、呉淑珍夫人は、懲役11年6ヶ月、2200万台湾元の罰金、5年間の公民権剥奪となった。

台湾最高検は差戻審判決を不服として最高法院に上告した[13]
仮釈放

2013年6月3日、刑務所に収監中の陳がトイレタオルを用いて自殺を図ったものの、すぐに看守が発見したため、未遂に終わった[14]

2015年1月5日うつ病や手足の震えなどで健康状態が悪化しているため、自宅療養が認められ釈放。高雄市にある自宅での療養を開始した[15]2016年4月には台北高等法院が陳の病気が回復するまで残る裁判の審理を停止すべきとの家族の訴えを認め、裁判は事実上終了した[16]。釈放中の政治活動は認められていないが、同年6月には自ら設立した研修機関の記念パーティーに参加している[17]
政界引退

仮釈放後2019年に「一辺一国行動党」を結成、2020年立法院選挙に候補者を送り込んだが全員落選[18]。この敗北で陳は政界を引退した[19]
その他

アメリカ司法省は、2010年7月14日、陳一家が米ニューヨークマンハッタンに所有している豪華マンションなどの不動産をマネーロンダリング(資金洗浄)関連として没収するため、ニューヨーク州の裁判所などに民事訴訟を起こした。米政府は、没収が認められれば、不動産を売却し、その売却益の一部を台湾政府に返還する予定という[20]
脚注[脚注の使い方]^ 本田 2004, pp. 213?215.
^ 本田 2004, pp. 249?255.
^ a b “【話の肖像画】台湾元総統・陳水扁(69)(26) 銃撃、リコール、波乱の2期目(2/2)”. 産経ニュース (2020年4月18日). 2021年1月9日閲覧。
^ “【話の肖像画】台湾元総統・陳水扁(69)(26) 銃撃、リコール、波乱の2期目(1/2)”. 産経ニュース (2020年4月18日). 2021年1月9日閲覧。
^ “陳総統:日米との準軍事同盟関係構築の必要性を強調”. 台北駐日経済文化代表処. (2006年10月10日). オリジナルの2009年12月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20091202101640/http://www.roc-taiwan.org/ct.asp?xItem=44500&ctNode=3591&mp=202&nowPage=63&pagesize=50 
^ 陳水扁氏、胡錦涛主席の台湾訪問正式要請―台湾 Record China 2007年5月12日
^http://www.taiwanembassy.org/JP/ct.asp?xItem=72645&ctNode=1453&mp=202 台湾国際放送2008年11月14日
^ 共同通信2008年12月12日
^ 共同通信2008年12月30日
^ 共同通信2009年1月19日
^ 共同通信2010年6月11日


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