陣内智則
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身長167 cm[2]
言語日本語
方言播州弁
最終学歴兵庫県立高砂南高等学校[4]
出身NSC大阪校11期[3]
コンビ名リミテッド(1992年 - 1995年)[5]
相方西口圭(コンビ時代)[6]
芸風コント
事務所吉本興業
活動時期1993年 -
同期

ケンドーコバヤシ

たむらけんじ

中川家

海原やすよ ともこ

児嶋一哉アンジャッシュ

ハリウッドザコシショウ

など

現在の代表番組

ノンストップ!

ヒルナンデス!

ネタパレ

エンタの神様

過去の代表番組

爆笑オンエアバトル

なるトモ!

ジャイケルマクソン

クヮンガクッ

なにわ人情コメディ 横丁へよ?こちょ!

どっキング48

など

配偶者

藤原紀香(2007年 - 2009年)

松村未央(2017年 - )

公式サイト公式プロフィール
受賞歴


1998年 ABCお笑い新人グランプリ優秀新人賞

2000年 上方お笑い大賞最優秀新人賞

2004年 上方お笑い大賞話題賞

2005年 ビートたけしのエンターテインメント賞日本芸能大賞

2005年 輝け!2005年お笑いネタのグランプリグランプリ

2007年 卒煙表彰

2009年 S-1バトル月間チャンピオン(12月)

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陣内 智則
YouTube
チャンネル

陣内智則のネタジン

NETAJIN Sketch Comedy【Tomonori Jinnai 】

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メイン 2020年 -

英語版 2021年 -

韓国版 2021年 -

ジャンルエンターテイメント
登録者数

メイン 140万人

英語版 2740人

韓国版 1.21万人

総再生回数

メイン 5億9040万回

英語版 30万回

韓国版 171万回

YouTube Creator Awards

登録者100,000人メイン 2020年[7]
登録者1,000,000人メイン 2022年

チャンネル登録者数・総再生回数は
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陣内 智則(じんない とものり、1974年昭和49年〉2月22日[2] - )は、日本お笑いタレントピン芸人)、司会者YouTuber兵庫県加古川市出身[3]兵庫県立高砂南高等学校卒業。吉本興業(東京本社)所属[3]。妻はフジテレビアナウンサー松村未央[8]
来歴

加古川市立別府小学校[9]加古川市立別府中学校[10]兵庫県立高砂南高等学校[4]卒業後、高校の同級生である西口圭と共にNSC大阪校の11期生として入学し、西口とお笑いコンビ『リミテッド』を結成。このコンビ名は陣内が「限界」という意味の「リミット(limit)」と間違って名付けたものである。実際、「リミテッド(limited)」は「制限された」「わずかな」という意味の言葉だが、本人は指摘されるまでこの勘違いに気付かなかった。リミテッドとしての初仕事は、その当時、WコウジMBSラジオで放送していたラジオ番組の素人参加型コーナーだった。その他、高校時代にも『ピート・ローズ』のコンビ名で出演し賞金を稼いでいた。その後、『NSCアマチュア大賞』の秋開催のグランプリを獲得。これが、リミテッド時代に獲得した唯一の賞となる[注 1]

陣内は同級生と一緒にNSC入学と同時に、祖父の知り合いが営んでいた寿司屋・小鯛雀鮨鮨萬[注 2]で生活費などを稼ぐためにアルバイトで入るつもりが、誤って正社員になる手続きを済ませてしまった。職人達の中での厳しい仕事だったため同級生はすぐに辞めたが、陣内は卒業までの1年間、早朝4時に起床してからの皿洗いやシャリ炊き、料理の下拵えなどをしていた。

NSC卒業後、心斎橋筋2丁目劇場を中心に活動を開始。しかし当時のリミテッドは評判が芳しくなく、「2丁目ブーム」の中リミテッドは「2丁目で一番おもんないコンビ」などと揶揄されていた。その結果、結成3年後の1995年9月をもってコンビは解散。相方の西口は解散と同時に芸能界から引退したことに伴い、陣内自身はピン芸人への転向を余儀なくされた。

先述の通りリミテッドの評判が悪く「見たら不幸になるコンビ」という批評もあり[11]、舞台に立つと観客が顔を伏せる状況であった。実際、当時はネタ番組で1分だけの出演にも関わらず出番になった途端画面に台風情報が入ったり、一般参加型のフェリーツアーの追加メンバーにリミテッドの名前が出た途端台風でツアーが中止になったりするなど、不運ぶりも群を抜いていた。このことで陣内自身も萎縮してしまっており、ライブの前説をする後輩に「今日来た方は残念でしたね。なんと、今からリミテッドが出ます!!」といじられてもまったく反応を返せなかった[12]。その後、後輩芸人の予定が合わなかったため、その代役としてテレビ番組に出演することになったが、出番は着ぐるみを着て舞台を通過するだけという屈辱的なものだった。陣内はそのことが悔しくて仕方なかったが、相方の西口が意欲のない態度を示したため、その場で殴り合いの喧嘩となり、その最中に陣内は解散を決意した[13]

リミテッド解散以降、「Wachacha Live」への出演もままならなくなった陣内はテレビの『すんげー!Best10』や同番組で結成されたユニット「そういう人達」のライブ活動で凌ぎ、1996年12月の若手ネタ番組『オールザッツ漫才』(毎日放送関西ローカル)に出演。若手芸人のトーナメント戦で欠員が出たため(岸本R突然の不参加による)、陣内が急遽スタッフに呼ばれ1人でネタを披露するという場面があった。センターマイク前に1人で立ち一発ネタを1人でただしゃべるだけだったが、これが大受けし3回戦まで進出した。

解散のショックからなかなか立ち直れないでいた1997年、先輩芸人や吉本側から「ネタが作れない芸人は出るな」「次のイベントでスベったら芸人を辞めろ」と最後通告を受ける。プレッシャーからネタ作りもままならなかったが、イベントの直前に偶然乗った電車の車掌のアナウンスが変であったことに思わずツッコミを入れたところ周囲から笑いが起きたことに気づき、現在の持ちネタである「予め用意された音声や映像にツッコミを入れるネタ」の原型となる、新しい手法のネタが閃いた。開演数分前にようやく新ネタが完成し、それを演じたところ評判が良かったため吉本の陣内に対する評価も変わり、仕事が増えるようになる[11]

1999年10月放送開始の情報番組ちちんぷいぷい』(毎日放送)の月曜レギュラーに抜擢され、同曜日の人気企画「クイズ私鉄沿線」で関西の中年層への知名度も徐々にアップする。同年11月からは爆笑オンエアバトルNHK総合)に出場。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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