ダニエル・ドンブロウスキー
(英語版)は、限界事例からの議論は3世紀のポルピュリオスにさかのぼると書いている[7]。また、ウィルヘルム・ディートラー(英語版)の議論に詳しかったデンマークの哲学者ローリッツ・スミス(英語版)は、動物が権利や義務の概念を理解できないから権利を持たないという考えに反対した[8]。同様の考えを述べた18世紀の哲学者として、デイヴィッド・ヒュームやジェレミ・ベンサムが挙げられる[9]。近年では、ピーター・シンガー[10]、トム・レーガン(英語版)[11]、イヴリン・プルハール[12]、オスカー・オルタ(英語版)[13]によって様々な種類の限界事例からの議論が提示されている。
ジェームズ・レイチェルズ(英語版)は、進化論が人間と動物の生物学的な連続性を示しており、人間以外の動物は限界事例の人間と同様の配慮を受けるべきだと主張した[14]。 限界事例からの議論に対する反論には、テイボー・マチャン
批判
デイヴィッド・グラハムは、これがある種の個体の多くが道徳的行為者であれば、その種のすべての個体が同じ権利および保護を受けるということを意味すると解釈した。端的にいうと、個体の倫理的地位はその個体が属する種にとって何が普通であるかによって決まるということである[18]。
このマチャンの議論に対して、ジェームズ・レイチェルズは、もし種の個体をその種にとって何が普通であるかという基準で扱うとすると、もし例えばチンパンジーが何らかの方法で読み書きの能力を得たとしても、それがチンパンジーにとって「普通」ではないという理由で大学に入学できないことになると反論した[19]。
関連項目
利益に対する平等な配慮
種差別
注釈^ Dombrowski 1997.
^ Frey 1988, p. 197.
^ Harter 1983.
^ Horta 2014, p. 144.
^ 能力(言語能力、意識、他者に対する倫理的責任を負う能力)を基準とするものや、関係性(共感能力、勢力関係を構築する能力)を基準とするものを含む[4]。
^ “The catch is that any such characteristic that is possessed by all human beings will not be possessed only by human beings. For example, all human beings, but not only human beings, are capable of feeling pain; and while only human beings are capable of solving complex mathematical problems, not all humans can do this.” (Singer 2015, Chapter 6)
^ Dombrowski 1984.
^ Maehle 1993.