後期密教においては、無上瑜伽タントラの各経典の主尊と同一視されながら、曼荼羅において中尊とされ、阿?金剛(あしゅくこんごう、梵: Ak?obhyavajra, アクショーブヤ・ヴァジュラ)の名で呼ばれる。
三昧耶形は五鈷金剛杵。種字はウーン(??? [h??])[7]。真言はオン・アキシュビヤ・ウン[7]。密号は不動金剛[4]。 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}「阿?仏国経」(『大宝積経』第六不動如来会)によれば、[要出典]昔、東方の阿比羅提(あびらだい、梵: Abhirati(アビラティ)。妙喜・善快と訳す)という国に現れた大目(不動如来会には広目と記される)如来のところで無瞋恚・無婬欲の願を発し修行して、東方世界で成仏したといわれる[4]。阿?仏はその国土で説法中であるという[4]。 梵名のアクショーブヤとは「揺れ動かない者」という意味で、この如来の悟りの境地が金剛(ダイヤモンド)のように堅固であることを示す[6]。 大乗仏教の空思想を説いた『維摩経』の主人公維摩居士も、阿?仏国より来生したとされている[8]。 阿?如来は密教における金剛界五仏(五智如来)の一尊で[3]、金剛界曼荼羅では大日如来の東方(画面では大日如来の下方)に位置する。唯識思想でいう「大円鏡智」(だいえんきょうち)を具現化したものとされる。また胎蔵界の東方、宝幢如来と同体と考えられている。印相は、右手を手の甲を外側に向けて下げ、指先で地に触れる「触地印」(そくちいん、「降魔印:ごうまいん」とも)を結ぶ。これは、釈迦が悟りを求めて修行中に悪魔の誘惑を受けたが、これを退けたという伝説に由来するもので、煩悩に屈しない堅固な決意を示す[6]。 日本の仏教(主に真言宗と天台宗)では、五大明王のうち東方に位置する降三世明王を阿?如来の化身とする[9]。また、同じく東方を仏国土とする薬師如来と同一視されることもある[10]。 日本における阿?如来の彫像は、五仏(五智如来)の一尊として造像されたものが大部分であり、阿?如来単独の造像や信仰は稀である。重要文化財指定品で阿?如来と称されているものには、奈良・法隆寺大宝蔵殿南倉安置の木造坐像、和歌山・高野山親王院の銅造立像がある。 空海が開創した高野山金剛峯寺金堂(旧堂は1926年に焼失)の本尊は阿?如来と伝承されていたが、薬師如来とする説もあり、さらには阿?と薬師は同体であるとする説もあった[11]。同像は古来から完全な秘仏であったことに加え、1926年の火災で焼失してしまったため、その像容は不明である[11]。
概説
造像
後期密教(ふんぬぎょう)の護法尊が多数信仰されるようになった。また後期密教では最高位の仏(本初仏、勝初仏)が、大日如来から、法身普賢、金剛薩?、持金剛仏等へと変化していった。また阿?如来は阿?金剛として、無上瑜伽タントラ各経典の主尊と同一視されつつ、曼荼羅の中尊を担うようになった。特に『秘密集会タントラ』と結びつけられることが多く、青色の歓喜仏(ヤブユム)の姿で、タンカなどの美術品に描かれることが多い。イスラム教の台頭と仏教の衰退を背景として成立した、インド仏教・後期密教の終末期の経典である『カーラ・チャクラ(時輪)タントラ』でも、護法尊を統括する本初仏として阿?金剛仏たる阿?如来が主尊である。