阿川泰子
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阿川 泰子
出生名佐藤 康子
別名麻里 とも恵
生誕 (1951-10-16)
1951年10月16日(72歳)
出身地 日本 神奈川県鎌倉市
学歴椙山女学園高等学校
ジャンルジャズ
活動期間1972年 -
レーベルビクター
事務所タイムランド
公式サイト ⇒http://www.agawa.jp/

阿川 泰子(あがわ やすこ、(1951年10月16日[1] - )は、日本のジャズシンガー、元女優。本名は佐藤 康子[1]。旧芸名は麻里 とも恵(まり ともえ)[2]、麻理 ともえ、佐藤 康子。現在、タイムランドに所属。血液型A型。「シュガー・ボイス」、「ネクタイ族のアイドル」「オジサマ族のアイドル」などと称された[3]。身長158cm、46kg[3]

神奈川県鎌倉市出身。椙山女学園高等学校卒業[1]。父親は鎌倉在住の洋画家。趣味・特技は絵画・イラスト・エッセイ。
来歴

1978年にデビューした際にはプロダクションの意向で1953年生まれとしていた[4]。鎌倉の洋画家の一人娘として生まれ、小学校3年から名古屋市中区で育つ[5]。最初、水泳選手を志願し、水泳の名門で名古屋有数のお嬢様学校でもある椙山女学園中学校に入学[3]

杉村春子に憧れ椙山女学園高等学校卒業後上京、文学座演劇付属演技研究所第12期生[注釈 1]に合格、演劇を学ぶ。一年で退学[4]東宝映画の『華麗なる一族』、『青春の門』やテレビドラマなどに端役として出演。『華麗なる一族』は「東京からお電話です」の台詞一つだけ、『青春の門』は宴でお酌をするシーンのワンカットであった[4]。しかし「主役でもないのに脱がされる、端役のヌードがいや」と女優業を辞める[3]

銀座の「ファンファン」でジャズと出会い1973年、ジャズ・クラリネット奏者の鈴木章治を紹介され、ジャズ・ボーカリストに挑戦、翌年「鈴木章治とリズム・エース」の専属シンガーとなる。後にソロ・シンガーとなり、六本木や赤坂のライブ・スポットで脚光を浴びる。1978年アルバム『Yasuko "Love-Bird"』でレコード・デビュー。ビクターのバックアップのもと、トミー・フラナガンローランド・ハナジョージ・ムラーツロン・カーターセルジオ・メンデスネイザン・イーストジョー・サンプルなどの著名ミュージシャンとセッションを行う。1981年には、自らのバックバンド「フラミンゴ・ビッグ・バンド」を結成。スタンダード曲を現代的なアレンジで歌うコンセプトが受け、その声質から「シュガー・ボイス」と呼ばれ、曲のCM起用や自らも出演することで、ジャズ・ボーカルの分野でアイドル的な人気を獲得する。

1980年秋発売、4枚目のアルバム『JOURNEY』が、サラリーマンを中心に9万枚のセールスを記録[3]。それまで、ジャズといえばInstrumentalしか売れたことがなく、ボーカルものはせいぜい1万5000枚程度。それまでの最高は笠井紀美子で5万枚といわれていたため、9万枚の売上は異例であった[3]。当時はニューミュージック勢以外の邦楽アルバムがほとんど売れず、歌謡曲沢田研二ですら、アルバムの売上は5万枚も届かなかった[3]

デビュー・アルバム『Yasuko Love-Bird』から1982年『SOFT WINGS』までの6枚で累計90万枚を記録。当時のジャズブームを作った一人と称された[4]

1987年からテレビのトーク番組「オシャレ30・30」で古舘伊知郎と司会を務め、ゲストとのトークの他、毎回1曲歌を披露した歌は延べ360曲。文学座時代の同期の関係からか、テレビのトーク番組にほとんど出なかった松田優作もこの番組に出演した(1989年8月20日放送回)。
人物

熱狂的な読売ジャイアンツのファンらしく、雑誌に巨人観戦記のような記事が載る[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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