相対的に防衛政策の重要性が高まる中、防衛庁は第1次安倍内閣下の2007年(平成19年)に悲願の省昇格を果たし、防衛大臣(防衛庁長官)も対外交渉や国会答弁を円滑に行うことのできる能力が求められるようになった。
21世紀以降の就任者を見ると、中谷元:2001年(平成13年)、石破茂:2002年(平成14年)、浜田靖一、江渡聡徳、岩屋毅、木原稔など、いわゆる国防族を始めとして、党や政府で関係ポストを歴任した議員や、額賀福志郎、久間章生、高村正彦、石破:2007年(平成19年)、小野寺五典:2012年(平成24年・当時は外交族と見なされていた[6])・2017年(平成29年・再任)、中谷:2014年(平成26年・元防衛庁長官)、岸田文雄:2017年(平成29年・外務大臣と兼任)[注 1]、河野太郎:2019年(令和元年・外務大臣から横滑り)、浜田:2022年(令和4年)といった再任者、あるいは他の有力・関連ポスト経験者などの就任が多くなっている。また、2009年(平成21年)に成立した民主党政権でも、北澤俊美は外交・安保問題とは無縁の人物だったものの、就任後は閣内随一の実力者として存在感を発揮し、2012年(平成24年)には内閣改造(野田第2次改造内閣・野田第3次改造内閣)の目玉人事として民間人でありながらも自衛隊出身で外交・安保問題の論客である森本敏が起用された。2020年(令和2年)の菅義偉内閣では初入閣の岸信夫(元外務副大臣)が起用されたが、岸は外交族・親台派として知られており、対中安保を睨んだ人事とも評され[7]、2年に渡って務めた。
こうして、今日では防衛大臣は比較的重要度の高い閣僚とみなされるようになっている。派閥均衡など自民党の人事力学と離れ、専門性を重んじる場合があるのも特徴である[5]。女性も登用され、小池百合子、稲田朋美で、いずれも当時の首相安倍晋三が起用した。男性主導の印象が強い防衛省で女性がトップに就く人事は話題を呼んだが、小池は省内人事の混乱で再任を固辞し、稲田は南スーダン派遣PKO部隊の日報非開示問題(PKO日報隠蔽疑惑)などの責任を取って引責辞任した[5]。また、現在のところ防衛庁長官または防衛大臣経験者で、後に総理大臣に就任したのは、中曽根康弘、宇野宗佑、岸田文雄[注 1]の3人である。 旧憲法下の陸軍大臣と海軍大臣は就任資格が現役の武官(軍人)に限定され(軍部大臣現役武官制)[注 2]、軍の作戦行動に関する指揮権を持たず、軍政のみを管掌した(これを「ドイツ型軍部大臣」という)。これに対して、現行制度においては軍政と軍令が分離されず、防衛大臣は、現行憲法第66条の規定により、文民統制の観点から文民が任命され、自衛隊の最高指揮官である内閣総理大臣の隷下で軍政に相当する防衛行政だけでなく、自衛隊の作戦行動に関する指揮監督をも行う(これを「フランス型軍部大臣」という)。 代肖像画氏名内閣在任期間兼務等・備考所属政党
旧制度との比較
防衛大臣等の一覧
防衛大臣のほか、防衛省の前身である防衛庁、保安庁、警察予備隊本部及び海上警備隊の海上保安庁長官等も範囲に含める。
警察予備隊本部は保安庁や保安隊をへて現在の防衛省内局や陸上自衛隊に移行した。
海上保安庁の海上警備隊は保安庁の警備隊になり、現在の海上自衛隊に移行した。
海上保安庁の本体部分は保安庁の海上公安局とされたが、移行されずに現在の海上保安庁に至る。
太字は後に内閣総理大臣となった人物。
補職辞令のある再任は個別の代として数え、辞令のない留任は数えない。
臨時代理・事務取扱・事務代理は、大臣または長官が欠員の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。
警察予備隊本部長官
-搆エ惠吉第3次吉田内閣第1次改造内閣1950年(昭和25年)8月14日 - 1952年(昭和27年)7月31日認証官。内務省出身の警察官僚。
第2次改造内閣
第3次改造内閣
国務大臣(警察予備隊担当)
-大橋武夫第3次吉田内閣第2次改造内閣1951年(昭和26年)12月26日 - 1952年(昭和27年)7月31日警察予備隊令
旧内務省の元警察官僚。自由党
第3次改造内閣
海上保安庁長官(保安庁への過渡期)
-柳沢米吉第3次吉田内閣第3次改造内閣1952年(昭和27年)4月26日 - 1952年(昭和27年)7月31日東京帝国大学工学部卒業後、内務省入省、運輸通信省・運輸省の官僚。
海上警備隊の指揮監督。
海上警備隊は保安庁の警備隊に移行。
本体は海上公安局に改編。
国務大臣保安庁長官(総理府の外局)
-吉田茂第3次吉田内閣第3次改造内閣1952年(昭和27年)8月1日 - 1952年(昭和27年)10月30日内閣総理大臣による事務取扱。