防空壕
[Wikipedia|▼Menu]
標識は民間防衛を示す。

スウェーデンスウェーデンは核攻撃に備え、一部の戦闘機を山中などに配置された核シェルターに保管する方針をとっている。このため国産戦闘機ドラケンビゲンは狭い格納庫に入るように設計されている。
イギリス地下深くに作られたロンドンの防空壕第二次世界大戦当時、ドイツ空軍の空襲(バトル・オブ・ブリテン)にさらされたイギリスの首都ロンドンでは、発達した地下鉄を防空壕として使用した。ほかに、戦争初期に計画して郵便施設地下に作られた「パドック」(暗号名)、ウックスブリッジ空軍地下秘密指令施設などがあった。冷戦期には、ロンドンのコーシャムにある地下採石場跡を使用した核シェルター作戦本部 en:Central Government War Headquartersやen:Hack Green Secret Nuclear Bunker、en:York Cold War Bunker が設置された。
フランス首都であるパリの地下採石場(英語版)の一部は様々な機能を備えた施設として利用されている。(なお世界的に有名なパリの美しい街並み、つまり石造りの建物群はほぼ全て地下の採石場から掘り出した石を利用して建造されており、大量に採石した分だけ地下には大量の穴の群ができている。)その一部は防空壕としても使われている(また、一部は納骨堂として一般開放されている)。パリの地下採石場は、第二次世界大戦時には占領ドイツ軍の防空壕施設、そしてそのすぐ側にはドイツに対抗するレジスタンスの施設が置かれていた[5]。冷戦期に、元採石場を利用したタヴェルニー空軍基地が核シェルターとして建設された。
ドイツナチス・ドイツは、ドイツ語でde:Projekt Rieseと呼ばれる巨大な地下壕(地下都市)を造っていた。総統アドルフ・ヒトラーは自分用に、首都ベルリンの官邸地下にに総統地下壕と呼ばれる非常に強固な地下壕を建造していた。深さは地下15メートル。おまけに連合軍による破壊を阻止するため強化コンクリートの壁で囲まれ、上面のコンクリートの厚さが、なんと、4メートルにもおよぶものであった。敗戦色が濃くなるとそこに身を隠し、そこから軍へ指示を出した。そして最後はそこで自決した。戦後、ナチスの忌わしい記憶が残っているこの地下壕を破壊しようとしたものの、あまりに強固すぎて破壊することができなかったといい、埋めるにとどまっている。アルプス山脈北側の丘陵地帯にはエルトシュタール(英語版)というトンネルが点在している。起源は不明だが、昔から避難所や宗教儀式場として利用されていたと推測されている。ドイツの都市部には第二次大戦期・東西冷戦期の防空壕が残り、地下のトンネルや核シェルターのほか、地表に設けられた避難施設(ホーホブンカー)や高射砲塔(フラックトゥルム)も含まれる。これらの一部は歴史的建造物として見学できるほか、住宅・商業施設等としても利用され続けている。
ハンガリー冷戦期にen:F-4 Object という核シェルターが、首都ブダペストの都心部に設置された。国会議事堂に繋がる秘密通路を持つブダペスト地下鉄2号線と直結している。一度も使われたことはないが、現在もなお各設備の点検が毎週行われている。
ウクライナソ連時代(ウクライナ・ソビエト社会主義共和国)から作られたシェルターが国内に多数存在する。ソビエト連邦の崩壊に伴う1991年ウクライナ独立後には、多くが忘れ去られるもしくは維持管理のレベルが低下した。ウクライナ北東部のハルキウ州の州都ハルキウの例では、市内に4600ヶ所のシェルターがあるとされていたが、2021年以降のロシア・ウクライナ危機の際に住民らが確認したところ、使用可能となっている場所でも地下水が溜まっていたり、遊興飲食店に転用されたりしているなど、問題のある場所が指摘されることとなった[6]
ロシア首都モスクワには、モスクワ地下鉄に沿うように建設されたとされる、核戦争時の緊急避難シェルターおよびそこに通じる専用路線メトロ-2(en)やバンカー GO-42(現在は博物館に改装)がある。ヤマンタウ山の地下に核シェルター司令部が置かれている、とアメリカ合衆国は推察している[7]
中国1969年の中ソ対立を機に、広大な核シェルター「北京地下城」が建設された。
韓国韓国では、地下鉄地下街は、主に北朝鮮から攻撃された場合に防空壕として利用するために建造されている。そのため地下鉄駅や地下街の入口には「避難所」とはっきりと表示され、戦争時を想定した設備も多く備わり、防毒マスクの備蓄なども行われている。韓国で首都ソウルをはじめ多くの主要都市に地下街が発達しているのはシェルター利用を想定しているためでもある。
アメリカ合衆国第二次世界大戦中にサンフランシスコ市内に張り出されたシェルターへの避難案内第二次世界大戦中のアメリカ合衆国では、1942年9月に行われた日本海軍機によるアメリカ本土空襲を受けて、サンフランシスコシアトルロサンゼルスなどの西海岸の主要都市に防空壕が多数作られた。冷戦期に、ソ連からの核攻撃に備えレイブン・ロックマウンテン・コンプレックス(英語版)(別名:underground Pentagon)という陸海空軍の非常用統合指揮所、北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)の地下司令部シャイアン・マウンテン空軍基地が作られた。政府存続計画の一つ 「Project Greek Island」で、首都ワシントンD.C.から近いグリーンブライヤー(英語版)ホテルの地下に政府要人のための核シェルターが設置された。ホワイトハウスの地下には「大統領危機管理センター」(PEOC)という名の地下壕がある。何度も使われており、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロの時も大統領側近らが逃げ込んだ(ジョージ・W・ブッシュ大統領自身は、テロ発生時にワシントンにおらず、ある学校の教室で子供たちと交流していたのでPEOCには入らなかった(入れなかった)。ドナルド・トランプ大統領も2020年5月に警官によるジョージ・フロイドの殺害に抗議するデモが起きた時にこのPEOCに逃げ込んだ。
日本の防空壕

都市部に多数ある地下鉄駅の大部分は、十分深い場所に建造されており、防空壕として使える。太平洋戦争中では首都東京を走る地下鉄銀座線の駅が防空壕として使われた。

2004年に施行された武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律(国民保護法)では、弾道ミサイルの着弾などを想定して都道府県知事と政令指定都市市長に避難施設の指定を義務付けている。2020年4月時点で指定された施設は約9万4千だったが、そのうち地下施設は(わずか)1127しかなく、その時点では地下鉄駅の指定がゼロで、明らかに地下鉄駅を活用した指定が遅れていた。2010年代以降北朝鮮がミサイル実験を増加させる中、2022年ロシアのウクライナ侵攻が始まり緊張が高まると状況が一気に変化し、地下鉄駅の指定数が増え始め、4月後半までに300を超える地下駅舎が避難施設として指定された。たとえば大阪府と府下の大阪市、堺市は2022年5月7日に大阪メトロの全133駅中108の地下駅舎を避難施設に指定したと発表し、避難場所を「改札の手前まで」と設定(避難者が線路上に落ちることを防ぐため、とのこと)。日本の地下鉄駅は、ウクライナの地下鉄駅のように最初から核攻撃を想定して100m以上の深さに造っているのではないのでさすがに核兵器の直撃までは耐えられないが、それでも普通のミサイル(つまり核弾頭ではない、通常の爆薬を搭載したミサイル)であれば命を守れる可能性が十分に高くなる[8]。なお東京都は地下鉄網が発達しており地下鉄駅も非常に多いのだが、2022年4月時点では地下鉄駅の活用については後手にまわっており、まだ検討中で避難施設指定がゼロの状態にとどまっていた[8]

一般住宅の防空壕に関しては、地下室を建造している住宅ではその地下室を地下壕として一応使うこともできる。マンションなど鉄筋コンクリート造で地下駐車場を備えているものも、その地下駐車場を地下壕として一応使うことができる(完璧ではないにしても、命を守れる可能性が十分に高くなる)。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:67 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef