防空壕
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フィンランドの民間の防空壕のドア。標識は民間防衛を示す。

スウェーデンスウェーデンは核攻撃に備え、一部の戦闘機を山中などに配置された核シェルターに保管する方針をとっている。このため国産戦闘機ドラケンビゲンは狭い格納庫に入るように設計されている。
イギリス地下深くに作られたロンドンの防空壕第二次世界大戦当時、ドイツ空軍の空襲(バトル・オブ・ブリテン)にさらされたイギリスの首都ロンドンでは、発達した地下鉄を防空壕として使用した。ほかに、戦争初期に計画して郵便施設地下に作られた「パドック」(暗号名)、ウックスブリッジ空軍地下秘密指令施設などがあった。冷戦期には、ロンドンのコーシャムにある地下採石場跡を使用した核シェルター作戦本部 en:Central Government War Headquartersやen:Hack Green Secret Nuclear Bunker、en:York Cold War Bunker が設置された。
フランス首都であるパリの地下採石場(英語版)の一部は様々な機能を備えた施設として利用されている。(なお世界的に有名なパリの美しい街並み、つまり石造りの建物群はほぼ全て地下の採石場から掘り出した石を利用して建造されており、大量に採石した分だけ地下には大量の穴の群ができている。)その一部は防空壕としても使われている(また、一部は納骨堂として一般開放されている)。パリの地下採石場は、第二次世界大戦時には占領ドイツ軍の防空壕施設、そしてそのすぐ側にはドイツに対抗するレジスタンスの施設が置かれていた[5]。冷戦期に、元採石場を利用したタヴェルニー空軍基地が核シェルターとして建設された。
ドイツナチス・ドイツは、ドイツ語でde:Projekt Rieseと呼ばれる巨大な地下壕(地下都市)を造っていた。総統アドルフ・ヒトラーは自分用に、首都ベルリンの官邸地下にに総統地下壕と呼ばれる非常に強固な地下壕を建造していた。深さは地下15メートル。おまけに連合軍による破壊を阻止するため強化コンクリートの壁で囲まれ、上面のコンクリートの厚さが、なんと、4メートルにもおよぶものであった。敗戦色が濃くなるとそこに身を隠し、そこから軍へ指示を出した。そして最後はそこで自決した。戦後、ナチスの忌わしい記憶が残っているこの地下壕を破壊しようとしたものの、あまりに強固すぎて破壊することができなかったといい、埋めるにとどまっている。アルプス山脈北側の丘陵地帯にはエルトシュタール(英語版)というトンネルが点在している。起源は不明だが、昔から避難所や宗教儀式場として利用されていたと推測されている。ドイツの都市部には第二次大戦期・東西冷戦期の防空壕が残り、地下のトンネルや核シェルターのほか、地表に設けられた避難施設(ホーホブンカー)や高射砲塔(フラックトゥルム)も含まれる。これらの一部は歴史的建造物として見学できるほか、住宅・商業施設等としても利用され続けている。
ハンガリー冷戦期にen:F-4 Object という核シェルターが、首都ブダペストの都心部に設置された。国会議事堂に繋がる秘密通路を持つブダペスト地下鉄2号線と直結している。一度も使われたことはないが、現在もなお各設備の点検が毎週行われている。
ウクライナソ連時代(ウクライナ・ソビエト社会主義共和国)から作られたシェルターが国内に多数存在する。ソビエト連邦の崩壊に伴う1991年ウクライナ独立後には、多くが忘れ去られるもしくは維持管理のレベルが低下した。ウクライナ北東部のハルキウ州の州都ハルキウの例では、市内に4600ヶ所のシェルターがあるとされていたが、2021年以降のロシア・ウクライナ危機の際に住民らが確認したところ、使用可能となっている場所でも地下水が溜まっていたり、遊興飲食店に転用されたりしているなど、問題のある場所が指摘されることとなった[6]
ロシア首都モスクワには、モスクワ地下鉄に沿うように建設されたとされる、核戦争時の緊急避難シェルターおよびそこに通じる専用路線メトロ-2(en)やバンカー GO-42(現在は博物館に改装)がある。ヤマンタウ山の地下に核シェルター司令部が置かれている、とアメリカ合衆国は推察している[7]
中国1969年の中ソ対立を機に、広大な核シェルター「北京地下城」が建設された。
韓国韓国では、地下鉄地下街は、主に北朝鮮から攻撃された場合に防空壕として利用するために建造されている。そのため地下鉄駅や地下街の入口には「避難所」とはっきりと表示され、戦争時を想定した設備も多く備わり、防毒マスクの備蓄なども行われている。韓国で首都ソウルをはじめ多くの主要都市に地下街が発達しているのはシェルター利用を想定しているためでもある。
アメリカ合衆国第二次世界大戦中にサンフランシスコ市内に張り出されたシェルターへの避難案内第二次世界大戦中のアメリカ合衆国では、1942年9月に行われた日本海軍機によるアメリカ本土空襲を受けて、サンフランシスコシアトルロサンゼルスなどの西海岸の主要都市に防空壕が多数作られた。
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