養蚕地では真綿(上質ではない繭を精錬した後、水中で木枠に広げたもの)を首に巻いたり、襦袢の上に着て防寒に用いた[3]。また、この真綿を着物の背中部分や、全体に薄く入れたものがあり、これらはかさばらずに暖かいものであった[3](背負い真綿)。
明治後半には日本で男性用に「とんび」と呼ばれる、和洋折衷の外套が広まったが、これは1枚で1.8kgもあるもので、当時の仕事着の裂織などもやはり2kgを越えていて、当時、服が「暖かい」ということは「重い」ということを意味していた[3]。フリースの衣料
参考文献
丹波生活衣振興会、柿原志津子 『丹波の生活衣: 明治・大正・昭和の着物と暮らし』 2012年
脚注
注
^ つまり、前ごろもが開かない、カーディガンのようではない、頭から被るようにして着る方式の
^ 実は、アラン諸島では以前から小物の編み物はあったものの、セーターに関しては20世紀以前は編まれていなかったらしく、20世紀初頭にアラン諸島の女性たちが家族のために、あるいは産業の乏しい同島で副収入を得るためにセーターを編んで売り、それが他国、特に米国などで広まって「フィッシャーマンセーター」などと呼ばれるようになり、その後にアラン諸島の漁師らもいわゆる「アランセーター」を着るようになった、といういきさつがあるらしい[1][2]。
^ アランセーターにからめて語られる話というのは、ガーンジー島の編み物にまつわる(本当の)逸話を、アランセーターを大規模に売る商人などがアランセーターの話として巧妙に借用したか、あるいはどこかで話が混線した可能性が疑われる。
出典
^ 宮崎正勝『世界を動かしたモノ辞典』日本実業出版社、2002年。
^ https://megalodon.jp/2013-0624-0739-52/www.clanarans.com/history-of-aran-sweaters
^ a b c d e f g h 丹波生活衣振興会、柿原志津子『丹波の生活衣: 明治・大正・昭和の着物と暮らし』2012、p.26、「防寒着」
関連項目
腹巻き
襟巻き
暖房服(英語版)(ヒーターウェア、ヒーティド・クロッシング) ‐ 電気などで内部を加熱できる服。