阪神百貨店
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第二次世界大戦後に再び構想の実現に取り組み、その一環として梅田阪神ビル(当時)北側地下道の両側に1951年に全国名菓名物街を開業し[5]、11月1日に売り場を1階まで拡張した際に屋号を阪神百貨店と改め[11]1952年には1階に京阪神の甘辛の一流店を集めて阪神甘辛のれん街を開設する[11]など、この頃から専門店を誘致した委託部門優先をしていた[11]

そして1957年4月に改めて2代目の株式会社阪神百貨店を設立し[5]、同年6月1日に念願の百貨店の開業[10]に漕ぎ着けた際にも、阪神電気鉄道梅田停留場から直接入店できる出入り口を設置[5]してターミナルデパートの強みをフル活用しつつ、取引先のノウハウを活用する委託優先・専門店招致の方針を掲げて後発によるノウハウの不足を補う方針で営業を開始した[11]

その後、拡張工事を開始し、1958年3月に梅田阪神ビルディング(当時)の5階から8階を増床して東側部分が完成[7]。更に、西側部分を増築して、1963年6月に、約23年の歳月をかけて、第二次世界大戦前の当初構想の店舗面積へ拡大し[5]、現在の規模の店舗となった。この時にビル名称を「大阪神ビルディング」と改称している。阪神百貨店(1979年)

2002年10月、梅田本店の外壁のリニューアル工事が完成した。
食品販売の強さ

百貨店化する以前の1951年の全国名菓名物街、1952年の阪神甘辛のれん街など個性と伝統のある店を集める名店街や各地の名物食品を集めて販売した[11]伝統から発展し、2005年3月期で売上高1,095.06億円のうち食料品が415.23億円と40%弱を占めた[7]ほど梅田本店の食品売場の人気は高く、「日本一のデパ地下」(地下食品売り場)と呼ばれることもある。
小型店の出店による多店化

長らく梅田本店のみの営業を続ける堅実経営で知られていたが、親会社の阪神電気鉄道が阪神西宮駅高架下に2003年3月18日に開業したエビスタ西宮内に売場面積4,998m2の阪神・にしのみやを開業[12]したのを皮切りに多店化に乗り出し、2006年10月4日には三宮駅前の神戸新聞本社ビルであるミント神戸の地下1階に食品売場のみで売場面積1,276m2のさんのみや・阪神食品館[13]2008年3月20日には阪神電気鉄道御影駅前の御影クラッセ内に売場面積5,900m2の阪神・御影[14]2009年10月20日にはJR尼崎駅前のあまがさきキューズモール内[15]に売場面積5,329m2のあまがさき阪神を相次いで開業し、グループの地盤である阪神間で小規模店による多店化を進めた。

しかし、阪神・にしのみやは初年度に目標を上回る年間売上約57億円を達成した[16]が、阪神・御影は2009年3月期で年間売上約29.56億円[17]と目標の50億円[18]を大きく下回ったため、開業から1年半弱の2009年8月5日に不振だった食品売り場の75%にあたる2080m2を兄弟会社の食品スーパー阪急オアシスの経営に切替えて縮小し[19]2010年3月期で年間売上約12.01億円[20]と低迷して赤字になっていたさんのみや・阪神食品館[21]をその期末で一旦休業して同年12月末に営業を再開させずにそのまま正式に閉店[22]2011年7月24日には阪神・御影の2階売場を閉鎖して2度目の規模縮小を行って売場面積804m2まで縮小し[2]、あまがさき阪神も赤字でこそないものの2011年3月期で年間売上約36.33億円、2012年3月期で年間売上約37.27億円と初年度の売上高目標40億円を下回り続けており、2016年には2階売場を閉鎖するなど、多店化は必ずしも成功していない。

また、阪神間以外にも2006年7月26日に奈良県大和郡山市イオンモール大和郡山に売場面積約1万m2で出店する計画が発表された[23]が、阪急百貨店との業務提携に向けた経営方針の見直しの一環で出店地域を京阪神地区に注力するとして、同年11月10日に出店計画を撤回している[24][25]
京王百貨店との提携

2000年から同様にグループの鉄道沿線のターミナルデパートのみを展開し、全国展開していない京王電鉄傘下の京王百貨店東京都新宿区)と業務提携し、紳士服の共同企画や質流れバザールや全国駅弁うまいもの市などの催事情報の交換を行うようになった[26]

2002年7月からは京王百貨店も「阪神タイガースショップ」を新宿店に開設し[26]2003年阪神タイガース優勝セールを共催した[27]
株式会社阪急阪神百貨店へ

1937年1月22日に設立された初代株式会社阪神百貨店[6]は戦時体制の強化に伴って百貨店の開業が出来なかった[9]為消滅し、1957年4月17日に2代目の株式会社阪神百貨店が改めて設立し直され[7]、本格的な百貨店を開業している。

1966年12月に株式額面変更のため、1947年6月30日設立の企業[誰?]が存続企業となって2代目の株式会社阪神百貨店を吸収合併して3代目の株式会社阪神百貨店となり[7]1967年10月30日に大阪証券取引所第二部に上場し[7]1969年2月からは第一部に上場していた[7]が、グループの再編に伴い、2005年10月1日[28][29]付けで阪神百貨店株1に対し阪神電気鉄道株1.80が割り当てられた株式交換によって阪神電気鉄道の完全子会社化される[28]ことになり、2005年9月27日に上場廃止された[29]。(従来は電鉄が発行済み株式の52.4%を保有)阪神百貨店(2014年)


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