阪神甲子園球場
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注釈^ 1941年・第27回大会は地方予選中に中止、1942年から1945年は開催なし、1946年・第28回大会は接収中のため阪急西宮球場で開催。2020年は開催なし。
^ 1942年から1946年と2020年は開催なし。
^ 1946年は未使用、専用球場化は1948年から。
^ 1926年からは「全国中等学校蹴球選手権大会」と「全国中等学校蹴球大会」に分割、1927年は中止。
^ 1960年・第15回大会は阪急西宮球場で、2007年・第62回大会と2008年・第63回大会は長居陸上競技場で代替開催。
^ 阪神電気鉄道・アサヒビール共にメインバンクが住友銀行であり関係が深く、甲子園球場で販売されるビール類は1997年までアサヒビールの独占供給だったほか(1998年からキリンビールも参入)、アサヒビール側でも阪神球団とのタイアップ商品を関西地区限定で毎年発売している。かつては西宮市内(阪神国道駅の近隣)に所在したアサヒビール西宮工場(2012年閉鎖)から製造されたばかりのビールを直送していたこともあった。
^ この他、東芝と三菱電機は阪神電車の車両の機器でも取引関係にある。
^ いずれも阪神電鉄所有のものではなく、電鉄による開発以前から存在していた。
^ ラッキーゾーン設置以前のプロ野球公式戦796試合でオーバーフェンスの本塁打は49本しか出なかった。この中で、個人最多記録は景浦将山下実の各4本である(宇佐美徹也『プロ野球記録大鑑』講談社、1993年、p.368)。
^ CBCラジオ#むかいの喋り方』2020年10月27日放送の番組コーナー「弱クイズ王」より。
^ なお、この漫画の元となったエピソードとしては、「一緒に観戦していた息子の太郎がふと呟いた」という説と「登山家の藤木九三(当時朝日新聞勤務)がスタンドをアルプスに形容したのを一平が伝え聞いた」という説がある。
^ 日本の大半の球場はバックネット裏に事務室、場内放送用ブース、電光掲示板の操作室などが設置されており、その分スタンドが高く設定されている場合が多い。
^ 建物自体は現存しており、2022年現在はヤマハ音楽教室(新響楽器・ヤマハ甲子園センター)が入居するテナントビルとなっている。
^ 2016年の選抜大会で設定されて以降、夏の選手権大会も含めて近畿地方の軟式野球チームの小・中学生向けの招待席となっており、一般客の利用はできない(座席の背もたれにカバーが掛けられている。「8号門クラブ」も参照)。
^ 通常は長期の順延の可能性も考慮し、閉幕後のインターバルは余裕を持たせているが、1975年には第57回全国高等学校野球選手権大会が記録的長雨の影響で5日間も順延されたため、同年8月23日と8月24日に本球場で予定されていた阪神タイガース対ヤクルトスワローズ戦が高校野球優先を理由に開催を取り消された事例がある。
^ 2021年は高校野球の相次ぐ雨天順延により、プロ野球との同日開催も想定され、その場合はブルペンを設置したままプロ野球の試合を行う可能性があった。
^ 以前の日本法人名は「株式会社セールスフォース・ドットコム」であったが、2022年2月1日より「株式会社セールスフォース・ジャパン」に社名変更した[80]
^ イニング表示はアラビア数字で表記された戦後の一時期を除き漢数字で表記されており、当時十回以降の部分は「一」と「〇」から「六」が縦書きで表記されていた。
^ この時も「一」と「〇」から「八」が縦書きで表記されていた。
^ この時のイニング表示から十回を「十」1文字で、また十一回・十二回を「十」と「一」および「二」の縦書きで表記するようになった。
^ ただし、漢字部分の書体は明朝体になった。他の電光化された漢数字部分も同様。
^ ただし、神戸のものは、この当時、製造会社が左側が東芝ライテック製、右側が甲子園球場と同じ三菱電機製と左右で異なっている(2015年の改修では、右側は三菱電機のままとされたが、左側はアメリカのダクトロニクス製のマルチビジョンとなった)。
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