阪神・淡路大震災
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地震翌日以降の出火では、送電の再開に伴うものがかなりあったとされている[注釈 16]

消火活動では上水道が断水したため、わずかな防火貯水槽を探しているうちに炎が延焼して被害が大きくなる結果となった。断水で水が出ないホースを持ったまま、炎の近くで立ち尽くす消防士の姿が報道映像として残されている。また風によって巻き上げられた火の粉により、消火活動が困難になった地域もある[62]。火の手が大きくなりすぎて消火困難と判断した場合は、火勢に任せるまま消防員の判断で罹災者らの安全誘導を優先する「放任火災」と呼ばれる消防活動に切り替えられた。被災地近辺で放任火災活動が行われたのは、戦時中の明石空襲以来となった。一方、周辺住民が主体となり機械に頼らないバケツリレーによる消火(延焼防止)活動も行われている[64]

放任火災活動と併せて国道2号線・28号線などの大通りに消防隊を配備し、鎮火活動より延焼拡大を防ぐ活動が精一杯だった。17日午後からは各地から応援で駆けつけた消防隊員も加わってようやく鎮火活動に動き出した。消防隊は付近の新湊川兵庫運河にホースを伸ばし、徹夜で放水活動を行った結果、完全に鎮火したのは2日後の19日であった。

震災後、兵庫県・神戸市では、防火貯水槽の整備、消防へのヘリコプターの活用が検討されている。なお、ヘリコプターによる空中消火を見送った理由として、神戸市消防局は火災の規模や建物の構造を考慮すると困難かつ効果が見込めず、飛行中のヘリコプターや地上にいる人々に危険が及びかねないことを挙げている[65]
問題点

当時、神戸市市街地の消防団には可搬動力ポンプの配備がほとんどされておらず、消防団独自の消火活動が全くできなかった。

水道施設が壊滅したためほとんどの消火栓が使えなくなり、消防隊は水利を求めて防火水槽や学校のプールを探して放水したが水は足りず、最後は神戸港から消防車7台を連結して4キロの遠距離送水も行った(最長は神戸市市民プールから神戸市西消防団のポンプ14台を連結して7キロの送水が行われた)。

各地の消防車が応援に来ても消火栓とホースの
規格が合わず(「ねじ込み式」と「マチノ式(差し込み式)」の2つがあり、未だ共通化されていない。)、消火できなかったことが問題になった。

走行する自動車によって道路上の消火ホースが踏まれたため、破損送水不能になる事象も多発した。

公的機関による救助活動1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災での、即応対応ができた災害救援活躍の事例。 神戸市灘区森後町三丁目の宮前商店街付近で、震災後、わずか2日後に始まっていた海上タンクコンテナを利用した、飲料水の給水活動風景。
当時、海上コンテナ取り扱い量が日本一を誇っていた港町・神戸ならではの奇策的な対処法として、神戸市の公式記録に残されている。
(1995年1月19日、神戸市灘区にて。)消火活動。消防は人員も足らず、ほとんど手の付けようがなかった(兵庫区)。

地震発生後、消防警察自衛隊などの各組織は救助活動に入っているが、いくつかの問題点も指摘された。

この災害で、一般にはあまり知られていなかった「挫滅症候群(クラッシュ症候群)」が広く知られることとなった。
消防・警察

消防庁警察庁が調整を行って全国の消防・警察から応援が現地に送られていたが、交通渋滞に巻き込まれずに到着した人はほとんどいなかった。到着出来ても、大規模災害に対する技術・知識・装備・機材どれも満足とは言えない状況だったため、活動は難航した。

東京消防庁は、航空隊消防ヘリコプターによりいち早く特別救助隊を被災地に派遣して成果を上げた。当日11時、八王子消防署特別救助隊に対し、ヘリコプターで直接神戸市に出動せよとの指示があり、大型ヘリ「ひばり」で現地に向かった。手持ち可能な器具のみの持ち込みであったが、孤軍奮闘した。

都市部の消防・警察においては、自身が被害を受けていることもあり、初期における救助などの活動は円滑とは言えなかった。一方、淡路島においては「地元の消防団および近隣住民が中心となった救助活動」が行われた。特に北淡町においては、発生から約11時間で捜索救助活動および遺体収容が完了している[66]。建造物や人口の密度を勘案すれば、神戸市街地とは救助に要する時間を単純に比較はできないが、地震発生直後における近隣住民などの地域コミュニティーによる救助活動の重要性を示している。

瓦礫の下の被災者を救出する車両が不充分であったほか、防災機関の(救急ヘリ)での搬送も少なかった(震災当日のヘリ搬送:西宮市にて1名のみ)。この搬送は大阪市消防局から緊急医薬品輸送に従事した機体が帰りに搬送したものである(62人/1週間(内、17人/3日間))[67]。ゆえに、負傷者の救出・搬送が遅れることとなった。

消防・警察は、この地震を教訓に全国の応援体制として緊急消防援助隊(消防)と広域緊急援助隊(警察)をそれぞれ創設し、東京消防庁消防救助機動部隊(通称:ハイパーレスキュー)を、横浜市消防局は機動救助隊(現在の特別高度救助部隊:スーパーレンジャー)を創設することになる。
自衛隊と県知事

自衛隊については、地震発生数分後には行動を始めたものの、阪急伊丹駅へ近傍派遣(災害派遣)を行った第36普通科連隊を除き、神戸市中心部への災害派遣は直ちにはなされなかった。第36普通科連隊は、「近傍派遣」(自衛隊法第八十三条三項)によって出動しているが、他の部隊は知事の要請(自衛隊法第八十三条一項)の待機状態になっていた。

これを教訓に、自衛隊への派遣要請を都道府県知事のほか市町村長または警察署長などからも行えるよう、後に制度が改められた。
防衛庁・自衛隊による一部マスコミ報道への反論


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