阪神・淡路大震災
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阪神高速道路3号神戸線(延長39.6km)の倒壊は[45][注釈 14]、震災の甚大な被害を象徴するものとして世界中の新聞の一面に大きく掲載された。橋脚1,175基のうち637基、橋桁1,304径間のうち551径間が損傷したが[45]、中でも東灘区(深江地区)では全長635mにわたって高架橋が横倒しになる(17基の橋脚が倒壊)という極めて衝撃的な光景が見られた[45][46][47][48]

「倒壊した高速道路が、倒壊する寸前に波打っていた」という目撃談話が報道番組において報じられている。橋脚と道路面の接合部分が地震によって破壊されたことも確認された。そのため、「柱の上にただ乗っかっている板」のような状態になり、耐震性はほぼゼロになったと考えられる。崩落した高速道路と辛うじて残った部分との境に取り残された高速バスの写真が印象深いが、その部分ではこの事象が発生していたと考えられている[49]

被災し破損した構造物の実物や資料などは、1999年より阪神高速が東灘区に有する震災資料保管庫にて展示されており、事前予約をすることで誰でも見学することができる[50]
中国自動車道

中国自動車道では、吹田JCT西宮北ICの間が不通となった。このことから、近畿地方内で京阪神を経由せずに、三重県亀山市東海道沿線)や滋賀県米原市中山道沿線)周辺から兵庫県姫路市山陽道沿線)まで行くには、「迂回路」としての北近畿福井県敦賀市北陸地方南部)から兵庫県和田山町(現・朝来市)までを通らなければ到達できないということが指摘されている。近年、論議がかまびすしい道州制においてもこの北近畿迂回路の存在から「地域的・交通的問題を解決するには、交通的一体性を重視した枠組みにすべき」という意見が出されている。
交通規制

震災直後、被災地の幹線道路で大規模な交通規制が実施された。当初は、警察署が通行許可標章を発行していたが偽造が出回り渋滞の改善が見込めないため、その後コピーのできない新たな標章「復興標章」「除外標章」への切り替え、標章の交付審査を厳格にした。交通規制は阪神高速3号神戸線の復旧に合わせ徐々に緩和され1996年(平成8年)8月には全て解除となった。交通規制実施道路は次の通りである。

復興物資輸送ルート - 国道43号の一部区間・名神高速道路の一部区間・阪神高速5号湾岸線の一部区間(復興・除外標章掲示車両・バスタクシー緊急車両以外は通行できない。規制時間は日曜日・祝日を除く6時 - 19時)

生活・復興関連物資輸送ルート - 国道2号の一部区間・阪神高速7号北神戸線新神戸トンネル有料道路・第二神明道路(復興・除外標章掲示車両・バス・タクシー・貨物車二輪車・緊急車両以外は通行できない。規制時間は道路により異なる。)

JR崩壊した六甲道駅。山陽新幹線 高架の破損(西区)。

西日本旅客鉄道(JR西日本)も私鉄各社同様の被害を受けたが、どの私鉄よりも先に急速な復旧を遂げて、最初に全線での運行を再開した。「資本力の違い」「旧国鉄線だったため、線路脇に比較的余裕があり作業が行いやすかったこと」「旅客列車のほか、貨物列車も往来する物流の大動脈でもあったこと」「全国のJRグループから応援を呼んだこと」などが要因とされる。
被害

JR
神戸富山行き「スーパー雷鳥」1号(鷹取駅まで回送中)…住吉駅で被災、三ノ宮駅700m手前で停止。10両中8両が脱線。

JR「シュプール白馬・栂池」6号・西明石発京都行き普通列車…住吉駅 - 三ノ宮駅間で脱線。

JR六甲道駅…駅舎が倒壊。

JR新長田駅…駅舎が全壊。

JR鷹取駅…駅舎が半壊。

山陽新幹線においては、橋脚の倒壊と倒壊箇所の調査から手抜き工事の痕跡が見つかっている。

東海旅客鉄道(JR東海)でも東海道新幹線の京阪間の一部で橋脚に亀裂が見つかったため、震災直後は京都駅 - 新大阪駅間で徐行運転(170 km/h程度)を行っていた。

JR神戸線

西宮駅 - 須磨駅間で貨物列車を含め8本が脱線したほか、鷹取工場でも39両が脱線、転覆した。駅施設関係では、六甲道駅を中心に高架橋や柱に大きな被害を受け、新長田駅付近の盛土が崩壊して駅設備が壊滅した。また、鷹取工場では建物が全壊したほか、検修庫や検修設備に損傷を受けたほか、土留め擁壁が倒壊するなどの被害を受けた。

発生直後から全線で運転を見合わせたが震災当日に運転再開することができず、翌18日には大阪駅 - 尼崎駅( - 福知山線塚口駅)間の上下外側線と西明石駅 - 姫路駅間で運転を再開した。運転再開は、折り返しができる駅を活用して工事が進められたが、折り返しができない須磨駅・住吉駅では新規にポイントを設置し、灘駅ではその先の東灘信号場の構内配線を変更して引き上げ線とすることにより折り返しができるようにした。阪神・淡路大震災によるJR神戸線の開通の推移。

西明石方面からは、ホームのある上下電車線を優先して復旧を行ったが、灘駅 - 兵庫駅間は方向別線路となっていたため海側2線(下り列車線・電車線)を優先して復旧作業を行った。新長田駅付近では被害が大きかったため、下り列車線と和田岬線への小運転線を活用して複線化している。当時この小運転線は非電化であったため、急遽電化して対応した。なお、新長田駅は駅舎が全壊したため、1月30日に神戸駅 - 須磨駅間の運転を再開しても停車せず、3月10日に仮駅舎ができるまで通過していた。

ダイヤ面においては大阪方面から甲子園口駅までの復旧時は新快速(ただし大阪駅以西は各駅停車)と普通のみ運転され、京都方面からの快速は大阪駅で折り返し運転を行っていた。新快速は大阪方面からは芦屋駅開通時に運転を開始したが、姫路方面からは3月12日まで運転されることはなかった。(ただし加古川駅 - 姫路駅間では新快速運転を行う列車は存在していた。)

震災の復旧作業の進捗によって、不通区間が徐々に短縮されていったが不通区間の東西それぞれで封じ込められた車両で運用を行わなければならず、特に不通区間の東側では車両が不足していた。そのため、播但線を迂回ルートとして車両が回送されたが、播但線は非電化のためパンタグラフなどの付属機器を網干電車区(現在の網干総合車両所)で一旦撤去し、ディーゼル機関車の牽引により福知山運転所(現在の福知山電車区)まで回送され、同所で取り外した機器類を取り付けて自力で宮原電車区(現在の宮原総合運転所)などに回送された。

しかしこの再配置だけでは車両不足が解消できず、岡山電車区広島運転所から115系19両および森ノ宮電車区日根野電車区の103系が運用されたほか、震災時に鷹取工場に入場していた奈良電車区の221系も運用された。また、車両の増結を行うなどし、201系は通常7両編成で運用されているが、このうち4本を4M4Tの8両編成と8M4Tの12両編成に組み替え、201系では最長となる12両編成で運転された。

六甲道駅を含む住吉駅 - 灘駅間は高架橋の崩落が最も大きな被害を受けたため最後まで不通区間として残ることになったが、4月1日に74日ぶりに全線が開通した。これにより震災後、阪神間の鉄道が初めて復旧することになり、この日に行われたダイヤ改正で新快速を増発している。六甲道駅復旧の模様は日本放送協会 (NHK) のテレビ番組『プロジェクトX?挑戦者たち?』でも取り上げられた。開通区間が延長されるたびに、開通直後から路盤固めまでの暫定ダイヤと、路盤が固まってから次に開通区間がのびるまでの暫定ダイヤの2種類が造られ、震災発生から全通まで18回のダイヤ改正が行われた。
播但線

1月20日から姫路駅 - 和田山駅間ノンストップ快速がキハ65形の4両編成で1日2往復運転され、21日・22日はキハ181系による5両編成で3往復の運転を行った。23日からは姫路駅 - 和田山駅 - 福知山駅 - 新大阪駅間でキハ181系による直通快速が1往復設定され、27日からはノンストップ快速に智頭急行HOT7000系も投入して最大6往復、キハ181系は7両編成で、HOT7000系は5両編成で東海道・山陽本線が開通する3月31日まで運転された。


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