「阪神大震災」の表記が優勢となる中で、それまで独自の名称を採用していたメディアも震災名を「阪神大震災」に切り替える傾向が進んだ。『東京新聞』は1月24日付朝刊から[13]、『週刊朝日』は2月5日緊急増刊号から[13]、『アサヒグラフ』は2月10日号から、それぞれ「阪神大震災」を使い始めた。
2月14日、災害名を「阪神・淡路大震災」とすることが閣議で口頭了解された[10][15]。これは政府が、神戸市を中心とした阪神地域および淡路島北部において被害が甚大であり、また、災害の規模が大きいことに加え今後の復旧に統一的な名称が必要と考えたためである[15]。なおそれ以前から、震災当時の北淡町長・小久保正雄は「阪神・淡路大震災」の名称を提案していた[13]。2月24日には、5年間の時限立法として阪神・淡路大震災復興の基本方針及び組織に関する法律(1995年(平成7年)法律第12号)が制定、即日施行された。
なお、大阪府下では豊中市を除くと兵庫県ほどの被害でないにもかかわらず、「阪」の文字が入っているのは兵庫県内における地域区分である「阪神間」(神戸市灘区・東灘区と兵庫県の芦屋市、尼崎市、西宮市近辺)における被害が甚大であったためである(なお、豊中市では南部を中心に甚大な被害が出ており、死者9名が出たほか避難所暮らしを余儀なくされた人も多い。)。ただし、上記の用法による「阪神」では神戸市、明石市も豊中市も外れてしまうことになり、大阪市や神戸市も含めたより広義の「阪神」では大阪府西部・兵庫県南部の順で表現されていることになるため、なお異論は少なくない。そうしたこともあって、「南兵庫大震災」という表記を用いる書籍もある[16]。
現在でも、マスメディアなどで単に「阪神大震災」と呼ばれることがある。これに対して疑問を持つ被災者もいる。大都市・大工業地帯・観光都市の一つである神戸・阪神地区だけが壊滅的な被害を受けたように表現され、同様に甚大な被害を受けた淡路島北部のほか、阪神地区の周辺について考慮されていないからである[13]。『毎日新聞』には、実際に淡路島の読者から「阪神大震災」の名称に対して「なぜ淡路を入れないんだ」という抗議の手紙が届いたという[17]。震災当時、淡路島にあった津名町(現・淡路市)の柏木和三郎町長は「阪神大震災」の名称に対して、「どこで起きた地震かと、他人事のような気がする」「マスコミに厳重に抗議したいが、忙しくてそれどころではない」と発言している[13]。またNHKでは「阪神大震災」と呼ぶ際、できるだけ「淡路島を震源とする」という注釈を添えて呼ぶようにしていた[13]。 全国の被害 (都道府県別)[注釈 8]都道府県人的被害住家被害 兵庫県内の被害 [20]市町村死者不明負傷者全壊半壊 神戸市内の被害 [20]区死者負傷者全壊半壊
被害
死者行方不明者負傷者全壊半壊全焼半焼
兵庫県6,402340,092104,004136,9527,03589
大阪府313,5898957,23215
京都府14936
徳島県21484
奈良県12
滋賀県9
和歌山県7
香川県7
岐阜県2
三重県1
高知県1
鳥取県1
岡山県1
合計6,434343,792104,906144,2747,03696[注釈 9]
神戸市4,564人2人14,678人61,800棟51,125棟
西宮市1,126人1人6,386人20,667棟14,597棟
芦屋市443人3,175人3,915棟3,571棟
宝塚市117人2,201人3,559棟9,313棟
淡路市58人1,177人3,076棟3,976棟
尼崎市49人7,145人5,688棟36,002棟
伊丹市22人2,716人1,395棟7,499棟
明石市11人1,884人2,941棟6,673棟
川西市4人551人554棟2,728棟
洲本市4人61人203棟932棟
加古川市2人15人13棟
三木市1人19人25棟94棟
高砂市1人8人1棟
南あわじ市28人181棟415棟
三田市23人
稲美町11人
小野市3人
猪名川町3人
姫路市2人1棟
加東市2人
加西市1人
丹波市1人1棟
豊岡市1人
播磨町1人11棟
東灘区1,469人3,383人13,687棟5,538棟
灘区933人1,112人12,757棟5,675棟
中央区243人3,782人6,344棟6,641棟
兵庫区554人1,755人9,533棟8,109棟
長田区919人532人15,521棟8,282棟
須磨区399人637人7,696棟5,608棟
垂水区25人1,020人1,176棟8,890棟
西区9人1,640人436棟3,262棟
北区13人817人271棟3,140棟
死者
兵庫県内の死者のうち、災害関連死による死者は919人 (14.3%)[21]
2005年(平成17年)に死者数の計上ミスが発覚し、修正された[22]。
焼死者数 403人(兵庫県の集計)、558人(各市の合計。神戸市528人など)[23]
神戸市では4,564人が死亡したが、最大の被害を受けたのは東灘区であり、全ての自治体で最多となる1,469人の死者が出た[20]。なお、市内では死者のうち59%が60歳以上の高齢者であった[20]。