阪神・淡路大震災
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^ 三宮元町ポートアイランド
^ 地震発生直後の放送各局が被害報道したのが、亀岡市内の住宅全壊・半壊だった。読売テレビでは、同市内に別荘を持つ辛坊治郎に電話取材を試みた。
^ この顛末は、以下の書籍を参照。神谷周孝「1分で決まった『阪神大震災』」毎日新聞大阪本社(編)『ドキュメント希望新聞 阪神大震災と報道』毎日新聞社、1995年、22-25頁。ISBN 4-620-31073-5
^関東大震災以来の大惨事」という認識から、同震災を意識したものと説明している[13]
^ 当初の「人的、物的な被害が関西圏に広がる」との判断からと説明している[13]
^ 壊滅した地域が神戸であるためと説明している[13]
^ 兵庫県および合計は消防庁2006年5月19日確定値[18]。兵庫県以外は消防庁2000年1月11日時点[19]
^ 兵庫県以外の非住家2棟を含む。
^ この「柏井ビル」は、本震では斜めに傾いたのみで、なんとか持ち堪えていた(当初は完全に倒壊はしなかった)。しかし、その後の余震により完全に倒れてしまい、幅の広い大きな道路を塞ぐ結果となってしまった(そのため復旧に支障が出た)。
^ トリアージの重要性が意識されることとなった。
^ 設計は ASTM(アステム)(芦屋浜・新日本製鐵竹中工務店高砂熱学工業・松下電工〈現:パナソニック電工〉・松下興産)。管理は日本住宅公団・兵庫県住宅供給公社・兵庫県・民間。14?29階建て、総戸数3,381戸。1979年(昭和54年)竣工。階段室と5階毎の共用部分の鉄骨によるラーメン構造
^ 限界以上の力がかかった時の破壊順序が決められており、中核になる部分が最後に壊れるようになっている。その後の余震でも大きな変化はなかった。
^ 3号神戸線のほかに5号湾岸線なども被災した
^ 最後に開通した当該区間では阪急の復旧が早く、開通までは振替輸送が行われた。この臨時列車は利用の定着に伴い、翌1996年(平成8年)3月16日の改正で定期列車に格上げされた。
^ 2011年に発生した東日本大震災では、送電再開による火災発生が心配され、家を離れる場合等はブレーカーを切るようマスコミを通じて注意が喚起された。“ ⇒東北電力からのお願い”. 東北電力. 2012年11月29日閲覧。
^ 山火事のような事態と違い、都市部の消火活動時はピンポイントでの消火剤散布が要求されるため、低空飛行が求められるが、火災旋風の中でヘリを低空飛行させることは完全な自殺行為(気流が不安定な上に、高温下では空気の密度が低く、ヘリが飛ぶのに必要な揚力が得られない)であり二次災害を引き起こす可能性が非常に高い。
^ 神戸市などは、2か月間は住民が無秩序に建物を建てないよう、建築基準法84条の建築規制をかけていた。『読売新聞』2011年4月12日
^ 後に、「被災市街地復興特別措置法」も作られた ⇒“被災地、建築制限8カ月に 特例法案を閣議決定”. 『毎日新聞』. (2011年4月23日). ⇒http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110423ddm012040039000c.html [リンク切れ]。
^ 1994年に発表した小説『オン・ハッピネス』(新潮社 後に文庫化)は神戸を舞台とした作品である。
^ 2022年(令和4年)現在は、内閣府特命担当大臣(防災担当)内閣危機管理監が対応することになっている。
^ 官邸とは渡り廊下でつながっていた。
^ 「兵庫衛星通信ネットワーク」平成3年(1991年)に82億円を使い構築された。県内全域や国土庁、消防庁などと「スーパーバードB」衛星で通信できたはずだったが、非常用発電機の停止、送水管の破損に加え、担当専門家4人全員が出勤できなかったため情報を発信・受信できなかった。
^ 現在の神戸地方気象台。この震災の発災当時は中央区中山手通に位置。
^ 原因は「L-アデス」と呼ばれる大阪管区気象台と結ぶNTT専用回線の故障である。洲本測候所の記録も送信されなかった。
^ 震度空白域の発生による初期対応の遅れは新潟県中越地震でも起こり、その後比較的大きな余震の度に自衛隊のヘリコプターで通信途絶地域の被害状況の確認が行われた。
^ 課長補佐からの連絡に対して「この電話を災害派遣要請とみなしてよろしいですね」「お願いします」のやり取りがあった[85]
^ この当時NHKは『ラジオ深夜便』を放送していたラジオ第1FM放送を除いて24時間放送はしておらず、午前5時55分の気象情報から開始していた。なお、同年4月の改編で開始時刻は5時に繰り上がっている。
^ かつて午前や夕方帯などにローカル編成を行っていたが、1988年に休止、その後は全て大阪発の関西広域放送に充てられていた。その後2000年代に入って県域放送が復活する。
^ 在阪局では唯一震災発生時間帯に生放送されていた。
^ 毎日放送ではニューススタジオにあったセットが倒壊、朝日放送(現:朝日放送テレビ)では『おはよう天気です』冒頭に地震に襲われた。この際、当時の本社屋内で部分的に十数秒の停電が起こり(朝日放送記録グループ編『大震災放送局24時間』(朝日新聞社)19頁)、生放送中のスタジオでは照明が一時的に消えたため、映像が途切れたものの、音声(マイク)は生きていたことから、数分間は音声のみで放送を続けた。関西テレビではスタジオの天井にあったスポットライトが落下し、読売テレビではエレベーターが止まる被害を受けた。テレビ大阪ではデスクが倒れる被害を受けた。
^ 朝日放送では正式にCMの全面カットを始める前の時間帯でも、スポンサーや代理店との調整が難しいと判断し、午前10時頃から一部CMを風景映像や大阪ガスのマイコンメーター復帰方法の告知VTRを流すなどして対応していた。その後、関西テレビ、読売テレビ、テレビ大阪の3局も段階的にCMのカットへ移行した。
^ 東京では17日及び翌日以降も通常通りゴールデン・プライムタイムのバラエティ番組などは放送されていた。なお近畿での通常番組再開後は番組スポンサーを含むCMの箇所だけフィラーや公共広告機構(現在のACジャパン)、大阪ガスなどからのライフラインの呼びかけについての啓発CMに差し替えていた。
^ a b 特にサンテレビは、社屋内が「ぐちゃぐちゃになるほどの被害」を受けた。
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