阪神・淡路大震災
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日本での都市型震災としては、大都市を直撃した1944年(昭和19年)の昭和東南海地震以来となる。

福井地震を契機として新設された「震度7」が適用された初めての事例であり、実地検分(気象庁の地震機動観測班による現地調査)によって震度7が適用された最初の事例であった。しかし、現地調査後に震度7を発表したのでは対応が遅れるとの意見を踏まえ、この震災の翌年から震度7も計測震度によって速報可能な体制に変更された[3]。これ以降に発生した2004年新潟県中越地震2011年東北地方太平洋沖地震東日本大震災)、2016年熊本地震2018年北海道胆振東部地震2024年能登半島地震における震度7の観測は、震度計によって実測されたものである。

建造物に対する被害が大きいとされる周期1-2秒程度のキラーパルスを伴った地震動は、数値上でも当時最大級のものとして記録され[4]、10秒以上続いた地域もあった(ただし、その後の地震では兵庫県南部地震を超える地震動が観測されている。)。神戸海洋気象台では、最大加速度818ガル[5]、最大速度105カイン、最大変位27cmの地震動が襲ったと分析されている[6]。これらは、釧路沖地震(922ガル、67カイン、変位93cm)、ノースリッジ地震(約800ガル、128カイン)に匹敵するものである。六甲アイランドの地震計では縦揺れ507ガルが記録された。なお、日本で過去最大の地震動は、2008年(平成20年)6月に発生した岩手・宮城内陸地震の際、岩手県一関市で観測された4022ガルである[7]
その他

道路・鉄道・電気・水道・ガス・電話などの生活インフラ(現代社会においてはライフラインと通称される例が多い)は寸断されて、広範囲においてまったく機能しなくなった。関西では1946年の南海地震を最後に地震が少ない時期に入っていたため、「関西では大地震は起こらない」という神話が広まっていたことも被害を拡大した[8]。これ以降、都市型災害および地震対策を語る上で、「ライフライン」の早期の復旧、「活断層」などへの配慮、建築工法上の留意点、「仮設住宅」「罹災認定」などの行政の対策などが注目されるようになった。

元々日本は地震大国であり、日本の大型建築物は大地震には耐えられない構造であることが分かったので、1981年(昭和56年)には大幅な建築基準法の改正が行われた(いわゆる新耐震基準[9])。しかし、日本の建造物が安全であるとする報道に基づいた誤解をしている市民も多く、また新耐震基準施行の1982年(昭和57年)以降に建てられたビル、マンション、病院、鉄道の駅舎などでも広範囲にわたって倒壊・全半壊が多く見られた。
名称「兵庫県南部地震#名称」および「震災#地震の名称と震災の名称」も参照阪急電鉄神戸三宮駅北で携帯電話で被災状況を連絡する男性。

1995年1月17日午前5時46分に発生した当地震に対し、同日午前10時(4時間14分後)に政府が「兵庫県南部地震非常災害対策本部」の設置を決定した[10]。同日午前11時、気象庁は当地震を「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」(: the 1995 Southern Hyogo Prefecture Earthquake[11][12])と命名した[10]

一方、当地震によって引き起こされた災害(震災)を指す名称はマスメディア等により任意に命名されていた。『毎日新聞』は地震発生当日の午後3時半ごろ、「阪神大震災」の名称を発案し、1月18日付朝刊以後、同紙上で広められた[13][注釈 4]。テレビでは読売テレビが地震発生当日から一部の番組で「阪神大震災」を使い始め(1月24日昼から統一)[13]毎日放送テレビは1月18日昼頃から呼称を「阪神大震災」に統一した[13]。その後、他の報道機関の中にもこれに追随する動きが出始めた。関西テレビ1月19日から[13]、『読売新聞』は1月22日付朝刊から[13]、『朝日新聞[13] と『産経新聞[13]1月23日付朝刊から、『日本経済新聞』は1月23日付夕刊から[13]朝日放送テレビは1月23日から[13]NHKは1月23日夕方から[13]、『神戸新聞』は1月24日付朝刊から[13]共同通信は1月24日の配信記事から[13]、『週刊文春』は2月2日号から[13]、それぞれ「阪神大震災」の名称を使い始めた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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