阪口大助
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初仕事はクライアントにプレゼンテーションするためのラジオCMのサンプルだった[7]。青二塾時代にあまり演らせてくれなかった少年役を演じたため、嬉しかったという[7]。舞台の出演、顔出しのVTRの仕事を経て、1992年に『美少女戦士セーラームーン』で声優デビュー[2][7]

1993年、『機動戦士Vガンダム』で主人公ウッソ・エヴィン役に抜擢[2][7][13]。事務所の先輩で、『Vガンダム』の後に制作された同じくガンダムシリーズである『新機動戦記ガンダムW』の主人公、ヒイロ・ユイ役を演じた緑川光は雑誌『ガンダムエース』誌上[要文献特定詳細情報]での阪口らガンダム主人公声優たちとの対談で「宿願をデビュー作で果たしてしまった彼が本当にうらやましい」と述べている。

デビュー間もない頃で演技力も未熟であった当時、監督の富野由悠季から毎回のように厳しい演技指導を受け、アフレコの度に叱責され、このあまりの過酷さに泣き出すこともあったとのこと[15]。富野は当時の製作環境などの理由で『Vガンダム』を「このDVDは見られたものではないので買ってはいけません」(DVDのライナーノーツ)など、酷評することが多いが、阪口はそれを踏まえ「誰も肯定してくれないなら自分が肯定するしかないでしょ」と語っている[要出典]。
人物・エピソード

卒業M』のCD会報で結婚したことを発表している。結婚相手はアニメ雑誌元編集者で取材が馴れ初め。

趣味はスポーツ観戦、歴史など[16]。小学校時代の頃は水泳陸上バスケ卓球を掛け持ちし、中学時代は陸上部に所属していた[9]サッカーJリーグが好きで、出身地・新潟のチーム「アルビレックス新潟」のサポーター。2014年12月、後援会PVに首都圏後援会員として出演した[17]

事務所の先輩である緑川光、林延年置鮎龍太郎石川英郎と共に『卒業M』から生まれたユニット「E.M.U」に所属していた。

前述の通りガンダムシリーズに憧れて声優業に就いたが、初めての仕事でシリーズ参加、しかも主役に抜擢されたため、目標がなくなったという。「現在は余生を過ごしている」と語ったこともある[18]

音域はA - F(F♯)[16]。素直なボーイソプラノが魅力[19]

ちょっと弱気な少年[19]、真っ直ぐな少年、野性味溢れる青年まで、幅広いキャラクターを演じている[9]が、阪口曰く普通の男役が多く、極端な役のほうが、演じやすいという[20]

『機動戦士Vガンダム』のウッソ・エヴィン役、『ガンバリスト!駿』の藤巻駿役、『卒業M』の志村未希麿役、『あたしンち』の立花ユズヒコ役など「演じた役そのまんまだね」と言われることが多く、「いや、俺、何重人格なんだよ!」と思うが、演じるたびに言われてしまうという[21]。ある意味、キャラが生臭くなり、キャラクター、キャラクターしてなく、「実在の人間に近づいてるということなのかなぁ。だとすれば僕にとってはそれが正解だし」と思うところはあるという[21]。『銀魂』の志村新八役のオーディションの話が来た時も、「このイメージか」と思っていた[21]。当時、『N・H・Kにようこそ!』の山崎薫役、『創聖のアクエリオン』のジュン・リー役といった眼鏡をかけたキャラクターを演じることが多く、新八役も「取りにいくしかないな」、「もしかして、眼鏡おたくが俺のストライクゾーンなんじゃね?」と思ったという[21]。当時、週刊少年ジャンプから離れていた時期だったため、改めて原作の『銀魂』を読み、「面白れーなー」と思い、決まった時は「おおー、3本目の眼鏡おたく!」と、喜んだという[21]

感覚で役にアプローチしており、基本的に頭でっかちなため、頭で考えすぎると杓子定規なキャラになりがちで、現場に行ってテストで出た声が、「そのキャラの声なんだ」と思い、している[21]。家で声を作ったりもしておらず、アフレコ用のVTRを貰っても、台詞のタイミングは計るが、何度も見直し、繰り返し練習をすることはなく、長い台詞は軽く声に出してみるくらいである[21]。何度も練習をすると、型に熱中して現場で融通がきかなくなるため、嫌だという[21]。芝居論については演劇論の話が出ても、「僕、分かんないんで」と言っていることから嫌いではないという[21]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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