王室闘鶏場を作るほど闘鶏好きのイギリス王ヘンリー8世の時代に闘鶏の試合ルールが定められ、そのルールが人間が行う闘鶏ボクシングに応用されたという逸話がある[7][8]。そのため、ボクシングの階級で、フェザー級、バンタム鶏(英語版)由来のバンタム級が使われるなど、闘鶏から導入された名残を残す。
米国では、賭博の対象とされることや、動物虐待とみなされることから、闘鶏は禁止されている[9]。 日本で闘鶏が始まったのがいつごろなのか定かではない。公家のみならず庶民の娯楽として、起源が不明なほど古くから行われてきたと推定される[2]。最も古い記録は8世紀前半に編纂された『日本書紀』であり、以後の公家の日記や史書にも闘鶏の記事は数多く見られる。 宮中の闘鶏は9世紀から10世紀には、闘鶏を好む天皇や公家によって正月後にしばしば催されていた。平安時代の頃より鶏合(とりあわせ)と呼ばれ宮中や貴族において3月3日に行われるようになった[10]。唐の玄宗が乙酉生まれだったため好んで清明の節に催した故事が由来とされる。鳥合わせの様子は承安2年の『古今著聞集』に詳しいが、歌舞や酒宴が主体で、闘鶏というよりもニワトリの鑑評会というのが実態となっていた[2]。 江戸時代のはじめには、タイから軍鶏が輸入されるとさらに盛んになっていった。しかし庶民の間で賭博の対象とされることが多くなり、幕府は幾度か禁止令を発し、明治時代には法令で禁止される地域があった[11]ものの、全国的には生き残っていった。 1948年(昭和23年)の東京都を皮切りに、北海道、神奈川県、福井県、石川県の5都道県では、闘犬、闘鶏、闘牛等取締条例等の条例が制定され、闘鶏が禁じられている[12]。沖縄県では、2017年以降、闘鶏で傷つき遺棄されたとみられる軍鶏が多数保護されており[13][14]、闘鶏を禁止する条例の制定を求める動きがある[13]。 また、闘鶏等の動物同士を闘わせることが動物の愛護及び管理に関する法律で禁止されている虐待にあたるのではないかとの指摘があり、中央環境審議会の下部組織において検討が行われている[15]。 イラクには1920年代前後に外国から持ち込まれた。イスラム教徒の間では禁じられている賭博と関連付けられるため非合法に近い扱いとなる。サダム・フセイン政権下では禁止されたが、人里離れた民家などで行われ続けた[16]。 海外の地域ルールによっては蹴り合いの威力を増すため、蹴爪に鋼鉄製のナイフを装着させる。このルールでは、負けた鶏はほとんど致命傷を負って死亡する。 雄鶏の育成には7ヶ月-1年ほどかかる。広いスペースを与えて脚や翼(羽)の力を強化する。鏡に映る自身を敵と思わせて闘争心を養う手法も取られる。
日本における歴史
イラクにおける歴史
武器鋼鉄製の蹴爪。東ティモール
育成方法
闘鶏が登場する作品詳細は「en:Category:Cockfighting in film」を参照
「闘鶏」 - 今東光の短篇小説
「軍鶏」 - 吉村昭の短篇小説
「タウチー一代 蹴られた男」 - 沖縄の舞台作品
The Cock and Anchor - シェリダン・レ・ファニュの処女長編小説(1845年)。主人公のオコナーがオリアリー少佐に連れて行かれる。
「コックファイター」 - チャールズ・ウィルフォードの小説及びその映画化作品
「ルーツ
脚注[脚注の使い方]^ “闘鶏(とうけい)とは
^ a b c d 増川宏一『合わせもの』<ものと人間の文化史> 法政大学出版局 2000年 ISBN 4588209418 pp.21-28.
^ Mervin R. Dilts, Clavdii Aeliani Varia Historia, 1974, 2.28(アイリアノス(松平千秋・中務哲郎訳)『ギリシア奇談集』第3巻12.2)
^ プラトン(森進一・池田美恵・加来彰俊訳)『法律』、第7巻798c(『プラトン全集13』、岩波書店、1975)
^ アンワル・ジンペ・ラフマン 「一発即死―トラジャの闘鶏『パラミシ』」アジ研ワールド・トレンド通巻142号
^ 秋篠宮文仁、小宮輝之『日本の家畜・家禽』 学習研究社 <フィールドベスト図鑑> 2009年、ISBN 978-4-05-403506-5 pp.178-179.