関西テレビでは、以下の4冊を発行している(2010年(平成22年)4月時点)。
関西テレビ放送10年史(関西テレビ放送株式会社総務局社史編集室 編集) 1968年12月1日発行、772ページ[25]。
関西テレビ放送30年史(関西テレビ放送 編) 1989年3月発行、214ページ[26]。
関西テレビ放送50年史(関西テレビ放送 編) 2009年3月発行、271ページ。
関西テレビ放送50年 資料編(関西テレビ放送 編) 2009年3月発行、106ページ。
ネットワークの移り変わり
1958年(昭和33年)11月22日 近畿地方で3局目の民放テレビ局として開局。キー局を持たずに開局したため自社制作番組を中心とした編成であったが、大阪テレビ放送(現・朝日放送テレビ)の番組編成から漏れたラジオ東京(現・TBSテレビ)のテレビ番組も一部ネットされていた。なお、ニュースは共同テレビジョンニュース社制作のものを購入していたため、開局前のフジテレビから送り出し(事実上裏送り)を受けて放送していた。このため、この局の開局からフジテレビが開局するまでは、「独立局」とみなすことがあった。
1959年(昭和34年)3月1日 キー局のフジテレビが開局。同局の番組を中心とした番組編成になる。フジテレビ・東海テレビ・九州朝日放送の3社と共に「番組交流に関する協定書」を締結する。しかし、一部のフジテレビ制作番組は毎日放送(MBSテレビ)にネットされ、MBSテレビ制作の番組もまた一部フジテレビに逆ネットされるなど、複雑なネットワークになっていた[注釈 19]。