関俊彦
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活動期間1983年[7] -
ジャンルアニメゲーム吹き替えナレーション
デビュー作兵士
(『太陽の子エステバン』)[7][8]
俳優活動
活動期間1983年[7] -
ジャンル舞台
デビュー作『花のOH-ENマジック』[7][9][10][11]
音楽活動
活動期間1990年 -
ジャンルJ-POP
職種歌手
レーベルFUTURE LAND
メルダック
共同作業者バナナフリッターズ
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

関 俊彦(せき としひこ、1962年6月11日[4][7][12] - )は、日本声優舞台俳優歌手宮城県仙台市生まれ、栃木県真岡市出身[3]81プロデュース所属[5]
略歴

栃木県立真岡高等学校[13]駒澤大学[14]経済学部卒業[2][15]
役者になるまで

姉が劇団四季のファンで、実家の栃木から新幹線で2時間ほどかけて東京へよく舞台公演を見に行っていたことや、部屋にポスターなどが飾られていたことなどから役者に興味を持つ[2]。また、関自身も野沢那智白石冬美ラジオパーソナリティを務めたTBSラジオ番組『ナッチャコパック』の投稿リスナーであり、送ったハガキを読んで貰えたこともあったという[2]。高校生のころに、ラジオ番組内で野沢が主宰する劇団薔薇座の芝居の宣伝を聞き、役者を募集している劇団があることを知る[2]

中学・高校の6年間は剣道に打ち込んだが、大学に進学したら剣道とは違うことをやろうと決意[11]。『ぴあ』を読んでいたところ、その中に前進座女優である川路夏子率いるグループ・カオスの研究生募集の記事が載っているのを見て「マンツーマンで指導する」というキャッチフレーズに惹かれて、大学入学と同時に応募する[2]。ただ、そのころはまだプロになろうという気はなく、興味半分でどんなものかというのを見に行く感じだったという[2]。大学にも演劇研究会はあったが、どうせものを習うんだったら本格的にやりたかったという理由からグループ・カオスを選び入所する[2]
キャリア

芝居を始めた時は、それがお金になるとは考えていなかったという[7]。小劇場で年に2回くらい公演をしたりしているうちに芝居が好きになって、芝居の講師のツテで大学3年生の時、81プロデュースの預かり所属になる[9][11]。その時は社長に「舞台でお芝居をしていきます」と話して、小劇場に立つ[11]。次第に事務所の事業の中では、声優の占める割合が高くなったことで、声優としての活動を始める[11]。声の仕事で、初めてお金をもらった時は、セリフを喋って、「なんでお金がもらえるの」と戸惑っていたという[7]

大学在学中の1983年にラジオドラマでデビュー。アニメでのデビューは同年放送のテレビアニメ『太陽の子エステバン』の兵士[9][8]。OVA『学園特捜ヒカルオン』(1987年)で初主役を務め、そして同年に『赤い光弾ジリオン』でテレビアニメで初主演を飾った[16]ことを契機に知名度を上げ、主人公やメインキャラクターを数多く演じるようになった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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