既に実現していた大大阪時代をさらに発展させるなどの実績を残したことで、大阪市政への功績を称えられ、中之島に關の銅像が建立され、太平洋戦争(大東亜戦争)中の金属供出や戦災を逃れ、大阪市立東洋陶磁美術館の前に現存している(2012年現在)[12]。
なお、孫の關淳一も大阪市助役を経て、2003年12月19日から2007年12月18日まで第17代大阪市長を務めた。ただし關一の死後半年経ってから生まれたため、面識はない。東京高商教授時代の教え子には、朝日放送社長や関西経済連合会会長を務めた経済学者の飯島幡司、小樽高商教授在任中に早世した経済学者の大西猪之介[13]、大阪商大教授在任中に早世した経済学者の松崎寿などがいる[14]。 高給取りであったが市長としての交際費は全て自腹を切り、自宅では質素な生活を続けていた[15]。遺産は1万円足らずであった[16]。東京高商で同僚だった佐野善作からは「特徴のない特徴」「地味」などと評される。 家族は妻と三男、四女。1918年に長女に先立たれ、1928年には長男も結核で死去。1932年に妻が病没した際は落ち込み、2ヶ月間職務を休んだ。その3年後の1935年1月14日には自身も腸チフスで倒れ同月26日、市長在任中に急逝した[16]。 交友関係では、高商後輩の経営学者上田貞次郎などと親しかった[17]。
人物
栄典
1930年(昭和5年)12月5日 - 帝都復興記念章[18]
著書
『商業経済大意』同文館、1898年
『商業経済政策』大倉書店、1903年
『商業経済綱領』同文館、1904年
『鉄道講義要領』同文館、1905年
『商業簿記例題』鹿野清次郎共著、同文館、1906年
『商工政策綱領』同文館、1909年
『労働者保護法論』隆文館(最近経済問題第5巻)1910年
『工業政策 上下巻』寶文館、1911、1913年
『住宅問題と都市計画』弘文堂書房、1923年
『都市政策の理論と実際』三省堂、1936年
解説
『コルソン氏交通政策』同文館(世界経済叢書第1冊)1903年
翻訳
アドルフ・ワグナー、ルヨ・ブレンタノ『最近商政経済論』福田徳三共訳、大倉書店、1902年
脚注^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』
^ 小島康弘 (2011年10月3日) 「(14)御堂筋 偉大な“大阪の父”市長・関一、“未来都市”へ大改造