異文化について何かを取り組もうというとき、自分のやり方だけを主張したり、他の人たちにもそうするよう求めたりすることはできない。文化間コミュニケーション
(英語版)はこの新しい状況に適応しなければならない。間文化哲学の哲学者の多くは、他の伝統にアプローチする際に、似ているようで異なるルールやガイドラインを提案している。ポリローグは、オーストリアの哲学者Franz Martin Wimmerが考案したものである。彼は、間文化的志向の哲学のなかで、軽率な普遍主義や相対主義的な個別主義を無効にする方法を見つけなければならないと主張している。いわば、他者の声を聞かせる際には、その他者が何を、なぜ言うのかだけでなく、どのような正当性をもって、どのような信念や確信に基づいているのかを問う必要がある[3]。急進主義と普遍主義のあいだには、他文化の助けを借りながら哲学のプログラムを遂行する第三の方法が存在しなければならない。Wimmerはこの方法をポリローグ、すなわち多数の人々の対話と呼んでいる。テーマ別の疑問に対する答えは、このようなポリローグのなかで解決されるべきである。彼は、ポリローグの「最小限のルール」の案を示している[3]。それは「単一の文化的伝統にいる哲学者による哲学的テーゼを、十分に根拠があるものとして決して受け入れてはならない」というものである。では、ポリローグとはどのようなものだろうか。Wimmerは、説明のために、四つの伝統(A、B、C、D)に関連する問題を想定している。A、B、C、Dの四つの伝統には、一方的な影響力(→)と相互的な影響力(?)があるとすると、以下のように区別すべき異なるモデルが考えられる[3]。 A → B かつ A → C かつ A → D このモデルでは対話は不可能である。伝統Aの拡大とB、C、Dのような文化の消滅が目的となっている。B、C、Dの反応は同じである必要はない。猛反発することもあるだろうし、伝統Aを完全に模倣することもあるだろう。このモデルの一例は、ヨーロッパ中心主義である[3]。 A → B かつ A → C かつ A → D かつ B → C このモデルでも対話も必要ない。Aは最も影響力のある文化であり続け、BはDを無視し、CはDを無視する。文化を比較するという考え方が発生するとすれば、Cに対する二重の影響があるからであろう。 これには様々な形態があり得る。たとえば、 A ? B かつ A → C かつ A → D という形や、 A ? B かつ A → C かつ A → D かつ B → C という形があり、最終的には、 A ? B かつ A ? C かつ A ? D かつ B ? C かつ B ? D かつ C → D という形もあり得る。これらの形態はすべて選択的アカルチュレーションとみなすことができる。ダイアローグや、場合によってはポリローグもあり得るが、Dはその例外となる。 A ? B かつ A ? C かつ A ? D かつ B ? C かつ B ? D かつ C ? D それぞれの伝統は、他の伝統を非常に興味深いと感じており、これこそが間文化哲学における調和のとれたモデルである。互恵的な影響は完全な平等に基づいて起こる。もちろん、実際に使用されるにあたっては、これほど注意深くバランスが取られることはないかもしれない。ある伝統は第三の伝統よりも第二の伝統に興味を持つかもしれないが、これは間文化的対話に共通の難しさである[3]。 en:Elmar Holenstein 論理的合理性のルール ? 自分にとって論理的でない考えがあった場合、その文化や伝統を非論理的あるいは前論理的とするのではなく、むしろ自分が誤解していると考えなければならない。 目的論的合理性のルール(機能性のルール) ? 人は、自分がすることの目的を追求するのであって、論理的合理性だけで何かを表現することはない。論理的合理性と目的的合理性、すなわち、ある文があったとして、その文字通りの意味と、それによって追求されるゴールとを区別できない場合、誤解が生じやすい[13]。 人間性ルール(自然性ルール) ? 無意味で、不自然、非人間的、未熟なふるまいや、それに対応する価値観を他文化の人々に帰属させる前に、自分自身の判断や知識の妥当性を疑うことから始めた方がよい[13]。 Nos quoqueルール(“私たちも同じことをする”ルール) ? 異文化において、矛盾なく受け入れることがまったくできないことに遭遇した場合、自身の過去あるいは現代の文化に、それに匹敵する、いやそれ以上にひどい出来事を見つける可能性は低くない[13]。 Vos quoqueルール(“あなたたちも同じことをする”ルール) ? 前者のルールを考えれば、スキャンダラスな出来事に拒否反応を示す異文化の人々にいる可能性は低くない。 “反・隠れた人種主義”ルール ? 人は欲求不満に陥ると、自身の欠点を拡大解釈して他の集団のメンバーのなかに見出す傾向がある。隠れた人種主義は、自分の優越感が脅かされたときに顕在化する。自分の文化を明らかにするために、異文化を分析しなければならない[13]。 パーソナリティ・ルール ? 異文化のメンバーを研究の対象や手段として扱うのではなく、同等の権利を持つ研究のパートナーとして扱うことで、誤った判断や要領の悪さを避けることができる[13]。 主観性のルール ? 自己イメージは、部外者の印象と同様に、額面通りに受け取られるものではない。その人の気質や出会いの種類によって、人は自分を過大評価し、過大に持ち上げ、飾る傾向があり、逆に自分を過小評価し、過小に評価し、否定する傾向がある[13]。 存在論-義務論ルール(「ある」対「べき」ルール) ? 行動規範や憲法の条文は、ありのままの状態を表すのではなく、発言権を持つ集団の見解に沿った状態を表す。時には、事実とは異なるが、適切なふるまいと考えられていることの鏡像を示すこともある[13]。 非極性化化ルール(文化的二元論への対抗ルール) ? 極性化
一方的な影響
一方的かつ推移的な影響力
部分的な互恵的影響
完全な互恵的影響: ポリローグ
間文化的対話のための経験則
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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