閏月
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明治5年11月9日(1872年12月9日)、太陰太陽暦を廃止し太陽暦に改める旨の詔書が政府より発せられ、同年12月3日にはこの日が太陽暦に基づき明治6年(1873年)1月1日と定められた。よって本来大の月である明治5年12月は公式には2日しかないことになった。
正閏論

閏月は一年の内ではあるが、一月から十二月までの本来の12か月からは外れた存在であり、また同じ月がたとえば「八月」「閏八月」と2か月連続することになる。このことから、閏月を異端になぞらえ、或る程度の期間並立した複数の王朝のうちで、どれが正統でどれが異端であるかを論じる議論を「正閏論」(せいじゅんろん)と呼ぶようになった。

「天に二日なく、地に二王なし」との『礼記』の記述から中国及びその影響を受けた諸国では、「本来皇帝はただ一人であるから、過去の複数の皇帝が居た時代においてもどれか一つの皇帝を正統として歴史書を記すべきである」という思想が支配的であった。中国では三国時代の正閏論、日本では南北朝正閏論が有名である。
脚注



参考文献

広瀬秀雄 『暦』〈『日本史小百科』〉 東京堂出版、
1978年

内藤湖南 『支那史学史 1』〈『東洋文庫』557〉 平凡社、1992年

岡田芳朗 『アジアの暦』〈『あじあブックス』〉 大修館書店、2002年

関連項目

太陰太陽暦

二十四節気



閏年

閏日

閏秒


13月

Undecimber - プログラミング言語のJavaに用意された、「13番目」の月。


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