長野県
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地租改正でできた広大な村に通し番号で地番を振ったため、県内では地番が5桁になることも珍しくない[13]。また、町村名の次に番地が来る住所も多い[13]

北信北信地域長野地域)、東信佐久地域上田地域)、中信松本地域木曽地域北アルプス地域)、南信上伊那地域南信州地域諏訪地域)の4地域は、自然地理や歴史や交通などの各面で、特徴がまったく異なっている。

これは、「信濃の国」(県歌)における「松本伊那佐久善光寺」の4区分にも象徴されている。大まかに分けると、北信、東信、中信、南信は、それぞれ長野県の北部、東部、西部、南部の地域となっており、北信と南信を除いて4地域は互いに接している。

北陸新幹線信越本線飯山線小海線国道18号上信越自動車道の沿線である北信と東信は、千曲川流域でおもに中山道北国街道沿線にあたる。

北信は、新潟県群馬県に接しており、戦国時代には村上氏武田氏織田氏上杉氏の支配圏に置かれてきた。善光寺街道沿いであった経緯や北陸新幹線・上信越自動車道で接続していることから、新潟県、群馬県、東京とのつながりが深い。

近年では、首都圏からの観光客も多く訪れている。また、中信とは長野自動車道篠ノ井線により接続している。北信は長野盆地を中心とした地域であり、新潟県に近いことから、海水浴で日本海へ行く者も多い。

一方の東信は、群馬県・埼玉県山梨県に接しており、戦国時代には武田氏・織田氏・徳川氏北条氏真田氏の支配権に置かれてきた。中山道と北国街道の合流点であった歴史的経緯や北信と同様に北陸新幹線・上信越自動車道で接続していることから、浅間山碓氷峠を越えた群馬県、東京都との交流も深い。

また、野辺山高原を経由する国道141号・小海線によりつながる山梨県との交流も深い。山梨県との間には現在、中部横断自動車道が整備中である。三国峠 (長野県・埼玉県)を経由して、埼玉県とも接しているが、道路事情が悪いため物流はほとんどない。道路で雁坂峠国道140号が開通する前には、碓氷峠 - 東信 - 山梨県 - 静岡県大井川以東のルートが、国道16号圏内を経由せずに関東地方内を迂回する最短ルートとなっていたために、関東志向がもっとも強い地域になっている。

これらに対して、中央本線飯田線大糸線中央自動車道・長野自動車道の沿線である中信と南信は、中山道、甲州街道、千国(ちくに)街道(糸魚川街道、松本街道)、北国西街道、三州街道沿線にあたる。

中信は、新潟県・富山県岐阜県に接しており、戦国時代には小笠原氏仁科氏木曾氏を経て、武田氏・織田氏の支配権に置かれてきた。中山道、甲州街道、千国街道(糸魚川街道、松本街道)、三州街道の沿線であったことから、新潟県、岐阜県、山梨県、愛知県、東京都との交流が深い。

北国西街道沿線には長野自動車道が整備されており、長野地域と接続している。中信の北部に位置する北アルプス地域は、飛騨山脈のすぐ東側に位置しており、登山・スキーなどの観光が盛んで、日本最大規模の八方尾根スキー場や、栂池高原スキー場があり、長野オリンピックの会場にもなった。観光の面では、関東地方からだけでなく関西地方からの観光客も多い。

また、国道147号国道148号を経由してつながる新潟県との交流もあり、山岳観光ルートの立山黒部アルペンルートにより富山県とも接している。また、中信の中部に位置する松本地域(中信)は、諏訪地域(南信)とともに中山道と甲州街道の沿線として発展した地域で、山梨県、東京都、岐阜県(東濃、飛騨)との交流が深い。中信の南部に位置する木曽地域(中信)は、広域の名古屋圏(中京圏)であり、歴史的に中世以前は美濃国に属し江戸時代には尾張藩領であったことや、国道19号(中山道)を通して、岐阜県・愛知県と接続しているため、経済や文化の面でつながりが深い。

一方、南信は、山梨県、静岡県、愛知県に接しており、戦国時代には諏訪氏・武田氏・織田氏・徳川氏の支配圏に置かれてきた。中山道、甲州街道、三州街道の沿線であったことから、山梨県、東京都、静岡県、愛知県との交流が深い。諏訪地域は、松本地域(中信)とともに中山道と甲州街道の沿線として発展した地域で、山梨県、東京都、岐阜県東濃地方との交流が深い。

また、南信州地域(南信)は、広域の名古屋圏(中京圏)であり、中央自動車道・国道153号(三州街道、足助街道)を通して、岐阜県東濃地方、愛知県名古屋・尾張・西三河地方、さらには三重県と接続しているため、経済や文化の面でつながりが深い。

さらに、南信州地域では、静岡県・愛知県東三河地方とも隣接しているが、道路事情が悪いため、物流が発達していない。現在、三遠南信自動車道(飯田市 - 浜松市)を建設中であるが、全通するかは未定である。また、JR飯田線、国道151号線で、新城市豊川市を経て豊橋市に出られる。

水系は、北信・中信(松本地域、北アルプス地域)・東信(一部を除く)が日本海側水系に属するのに対して、南信・中信(木曽地域)・東信(佐久市立科町南牧村の一部)は太平洋側水系に属している。

一般に、南信州地域、木曽地域は名古屋志向が強く、その他の地域は東京志向が強い[14]。近世以前は中山道沿いという面で信濃国全体でまとまりがあったが、明治時代に東京が首都になり交通が整備されると、
北陸新幹線(旧信越本線)を経由して東京とのつながりが深い北信・長野・上田・佐久地域

中央本線を経由して東京とのつながりが深い北アルプス・松本・諏訪・上伊那地域

名古屋とのつながりの深い木曽・南信州地域

という3地域に区分できるようになった。

ただし長野新幹線開通により北アルプス地域の住民の多くはバスで長野駅まで行き新幹線利用に代わってきている。
歴史
原始

長野県域では旧石器時代の遺跡がいくつか発掘調査されている。その中の野尻湖遺跡群(立ヶ鼻遺跡)から人類が活躍していたことを示す槍状木器・骨器・剥片石器などの遺物が発見されている。この遺跡はナウマンゾウオオツノシカなどの大型哺乳動物を解体したキルサイトと推定されている。時期は約2万5000年前から3万年前のものである。全国で発見されている斧形石器の約4分の1にあたる239点を出土し、刃の部分を砥石で研磨したものが多く、世界でももっとも古い磨製石器と言われている[15]。そのほか、この時代の遺跡としては仲町(信濃町)・日向林B(信濃町)・石子原(飯田市)遺跡が発見されている。

2000年代の前半に竹佐中原(たけさなかはら)遺跡(飯田市)が発掘・調査されている。この遺跡の石器集中地点4か所から石器を含む800点あまりの旧石器時代の遺物が出土した。この石器包含層の自然科学分析(火山灰分析、植物珪酸体分析、炭素14年代測定、光ルミネッセンス年代測定など)が行われ「3万年より古く5万年より新しい」という結果が出た。今までは、日本列島に人々が居住し始めたのは後期旧石器時代の約3万年前以降であると考えられていたが、この遺跡の発掘調査で中期旧石器時代の終わりごろ(3万年前から5万年前)には本県に人々が生活を始めていたことが証明された[報 4]

2万年前以降では剥片石器を特徴とする石器群が県内各地から発見されるようになる。後期旧石器時代が終わるころには日本で最初の細石刃矢出川遺跡(南牧村)で見つかっている[16]

有史以前、県内には縄文時代遺跡が多数分布し、この時代の中心地のひとつであった。茅野市で発掘された土偶は2体が国宝とされている。また小県郡長和町和田峠は日本における黒曜石の代表的な産地であり、諏訪郡原村阿久遺跡は最古級の環状集石とされている。


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