長野県
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今までは、日本列島に人々が居住し始めたのは後期旧石器時代の約3万年前以降であると考えられていたが、この遺跡の発掘調査で中期旧石器時代の終わりごろ(3万年前から5万年前)には本県に人々が生活を始めていたことが証明された[報 4]

2万年前以降では剥片石器を特徴とする石器群が県内各地から発見されるようになる。後期旧石器時代が終わるころには日本で最初の細石刃矢出川遺跡(南牧村)で見つかっている[16]

有史以前、県内には縄文時代遺跡が多数分布し、この時代の中心地のひとつであった。茅野市で発掘された土偶は2体が国宝とされている。また小県郡長和町和田峠は日本における黒曜石の代表的な産地であり、諏訪郡原村阿久遺跡は最古級の環状集石とされている。

続く弥生文化は、まず東海地方から長野県南西部へと伝わり、その後、日本海側の北陸地方から北部へと伝わったと考えられている。この2ルートでの波及が原因かは不明であるが、中野市柳沢遺跡からは、東日本では唯一となる一緒に埋納された銅鐸銅戈が出土している(銅鐸と銅戈が一緒に出土したのは日本全国でも数例しかなく、また大阪湾型と九州型の銅戈が混在していることもきわめて稀なケース)。
律令時代から江戸時代令制国である信濃国の歴史については「信濃国#歴史」を参照
明治維新後
府藩県三治制


明治元年8月2日1868年9月17日) - 明治政府の府藩県三治制導入により、信濃国の旗本領・幕府領が伊那県となる(県庁所在地は伊那郡飯島村=現飯島町[17]

明治3年9月17日1870年10月11日) - 伊那県のうち北信および東信の旗本領・幕府領が中野県として分立する(管轄地域は伊那県の項目を参照。県庁所在地は高井郡中野村=現中野市)も、その年12月に中野県庁が中野騒動(維新後の信濃国内で多発した世直し騒動の一環)により全焼。高石和道大参事が逐電。

明治4年6月2日1871年7月19日) - 廃藩となった龍岡藩のうち信濃国内の領地を中野県に編入。

明治4年6月22日1871年8月8日) - 善光寺領を編入。県庁が中野から長野に移転し、長野県が発足。明治7年10月25日の県庁舎新築まで善光寺門前の西方寺を仮庁舎とする。

廃藩置県


明治4年7月14日1871年8月29日) - 廃藩置県により、信濃国内の12藩が県に置き換わり、伊那県・長野県を併せ14県になった。

明治4年11月20日1871年12月31日) - 第1次府県統合により、飯山県松代県須坂県上田県小諸県岩村田県椎谷県の信濃国部分を長野県に編入し、県域が東信と北信に拡大。伊那県、松本県高島県高遠県飯田県名古屋県の信濃部分、高山県(旧飛騨国)が合併し、筑摩県となる。

明治5年1872年) - 学制施行。第七大区に属す(のちに第六大区)。

近現代

1876年(明治9年)8月21日 - 筑摩県が分割され旧高山県は岐阜県に編入、信濃国部分(中信・南信・北アルプス地域)が長野県に編入され現在の長野県が発足した。法令による廃止はないが、置き換わる長野県の発足により実質的に令制国である信濃国が廃止された。

1879年明治12年)1月14日 - 前年の郡区町村編制法により、南佐久郡北佐久郡小県郡更級郡埴科郡上水内郡上高井郡下高井郡下水内郡北安曇郡南安曇郡東筑摩郡西筑摩郡諏訪郡上伊那郡下伊那郡が発足(※自治体としての郡は1926年(大正15年)6月30日の郡制廃止により消滅)。

1888年(明治21年)5月1日 - 官設鉄道(後の日本国有鉄道関山駅 - 長野駅間が開業。県内初の鉄道となる。

1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制施行にともない、15町376村が発足(15町の内訳は岩村田・小諸・上田・長久保新・長窪古・高遠・飯田・松本・稲荷山・屋代・松代・須坂・中野・長野・飯山)。

1893年4月1日 - 官設鉄道横川駅 - 軽井沢駅間が開業。後の信越本線が全通し、長野県と東京方面が鉄道で結ばれる。

1926年大正15年) - 当時の梅谷光貞県知事が地元の意見を聞かずに3つの警察署(岩村田・屋代・中野)を廃止すると発表したのをきっかけに暴動がおきる。いわゆる警廃事件が発生。これをきっかけに知事公選を求める運動が起きた。

1941年昭和16年)7月15日 - 長野市付近を震源とする長野地震が発生。死者5人[報 5]

1942年(昭和17年) - 1926年6月30日に、地方自治体としての法人格が廃止された郡に代わって、地方事務所が設置される。

1944年(昭和19年)11月11日 - 松代町(現在の長野市)で松代大本営が着工。

1945年(昭和20年) - 米軍機が長野市や上田市に空襲。死者40名(長野空襲)。

1947年(昭和22年)4月12日 - 林虎雄知事が就任。

1948年(昭和23年) - 長野県庁庁舎一部焼失をきっかけに分県論が勃発。県議会で採決されるも議場を埋め尽くした県民の「信濃の国」大合唱により流会(とする説があるが、事実ではない)、結局否決される。これがのちの県歌制定の素地となる。ただし、仮に可決されても国(内閣)や国会は分県を認めない方針であったという[報 6]

1956年(昭和31年)6月1日 - 災害復興の支出などによる県財政赤字のため、地方財政再建促進特別措置法を適用。財政再建団体に指定。

1958年(昭和33年)10月15日 - 西筑摩郡神坂村が自治庁の裁定により分村。馬籠地区を山口村に編入し、湯舟沢地区を岐阜県中津川市に編入させる。世にいう島崎藤村騒動。

1959年(昭和34年)4月26日 - 西沢権一郎知事が就任。

1961年(昭和36年)4月1日 - 長野県企業局発足。

1962年(昭和37年)3月31日 - 好景気による県財政収入の増加で、当初計画より2年早く財政再建が終了する。

1964年(昭和39年)10月16日 - 1964年東京オリンピック総合馬術競技が軽井沢町で開催(10月24日まで)。

1965年(昭和40年)7月16日 - 県営松本空港(愛称:信州まつもと空港)が開港する。


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