長瀞渓谷(ながとろ けいこく)は、日本の埼玉県秩父地方に位置する、荒川上流部の渓谷である。全長約6km。岩畳など岩石の間を緩やかな流れ(瀞)が長く続くことから[1]、近代以前より長瀞と呼ばれてきた。1924年(大正13年)12月9日に「長瀞」名義で国の名勝及び天然記念物に指定されている。その範囲は秩父郡長瀞町のほか、上流の皆野町内の川岸も含む[1]。埼玉県立長瀞玉淀自然公園の一部でもある。
岩畳をはじめ地下深くの高圧下で形成された結晶片岩が地表に露出するなど、地球内部を地質学的に垣間見ることができるとの意をもって「地球の窓」の雅名もある[1]。 1878年(明治11年)、ドイツ人地質学者ハインリッヒ・エドムント・ナウマン(ナウマン博士)による日本列島各地の地質調査が始まり、博士の率いる調査団が長瀞を訪れ、長瀞の地質学的価値の高さが認められた。以来、長瀞一帯は日本の地質学研究の重要拠点として数多くの学者を育てる現場の役割を果たすこととなり、長瀞は「日本地質学発祥の地」といわれるようになった。埼玉県立自然の博物館前には「日本地質学発祥の地」の石碑がある。 ライン下りと岩畳が有名で、カヌーやラフティング、キャンプができる。名物は豚のみそ漬け(秩父名物)と天然氷のかき氷。秋には近くでりんご狩りができる。 岩畳(いわだたみ)三波川変成帯[* 1]と呼ばれる変成岩帯が地表に露出しているところ。なめらかな壁面は、南北方向にのびる垂直の割れ目(節理や断層)に沿って、岩がはがれ落ちて形成されたと言われている。 秩父赤壁(ちちぶせきへき)荒川による侵食のため急な崖で、特に岩畳付近の対岸のことを指す。中国揚子江が刻んだ「赤壁」に因んで名付けられた。黒色片岩中の鉄分が染み出し、酸化したため赤くなったという。 ポットホール荒川の急流が屈曲部で渦をつくり、岩石の河床の凹部に閉じ込められた礫や小石が河床をすり鉢状に削り取ったもの。大きいものでは大人がすっぽり入れる(約1.5メートル)ほどのものもある(長瀞町井戸)。 虎岩(とらいわ) [2]表面の紋様が虎の毛皮のようになっている幅15mほどの結晶片岩(スティルプノメレン片岩[* 2])。茶褐色の鉱物・スチルプノメレンや白色の石英、方解石、エメラルド色の長石、からなる模様からこの名前がつけられたという。地中深くでできた褶曲が見られる。1916年(大正5年)、宮沢賢治は盛岡高等農林学校の実習で長瀞を訪れた際、虎岩を次のように歌っている。つくづくと「粋なもやうの博多帯」荒川ぎしの片岩のいろ ? 宮沢賢治「書簡22」1916年9月5日付 保阪嘉内宛 葉書2003年(平成15年)9月、川原への下り口に歌碑が建てられた。 日本画家・川合玉堂による1916年(大正5年)の作。紙本著色、六曲一双屏風。国の重要文化財。東京国立近代美術館所蔵。
概要
地形
その他
褶曲、断層、不整合、懸谷、インブリケーション構造、河岸段丘などを見ることができる。
長瀞と美術・文芸
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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