長瀞渓谷
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

虎岩(とらいわ) [2]表面の紋様が虎の毛皮のようになっている幅15mほどの結晶片岩(スティルプノメレン片岩[* 2])。茶褐色の鉱物スチルプノメレンや白色の石英方解石、エメラルド色の長石、からなる模様からこの名前がつけられたという。地中深くでできた褶曲が見られる。1916年(大正5年)、宮沢賢治盛岡高等農林学校の実習で長瀞を訪れた際、虎岩を次のように歌っている。つくづくと「粋なもやうの博多帯」荒川ぎしの片岩のいろ ? 宮沢賢治「書簡22」1916年9月5日保阪嘉内葉書2003年平成15年)9月、川原への下り口に歌碑が建てられた。
その他
褶曲、断層、不整合懸谷インブリケーション構造河岸段丘などを見ることができる。
長瀞と美術・文芸


川合玉堂『行く春』    (左隻)(右隻)

日本画家川合玉堂による1916年(大正5年)の作。紙本著色、六曲一双屏風。国の重要文化財東京国立近代美術館所蔵。[3] 描かれている船車(ふなぐるま。船水車ともいう)は小麦を挽く水車を備えたで、この地では江戸時代から稼働しており、玉堂が訪れた当時はまだ存続していた。この絵のように崖と向かい合った画角での実際の川は右側が上流で左側が下流であるが、絵では流れが逆になっている。画面では上流ほど日陰になっており、その暗さが手前で咲き誇る満開の桜を美しく浮かび上がらせている。流れを下るほどに光が差し込み、右端まで来ると奥の岩肌が眩いほど光を浴びている。切り立った崖は実際より険しく描かれている。絶景の中に老人がひとり、を編んでいる(左隻右下)。

上記の宮沢賢治の歌碑ほか、1930年(昭和5年)に秩父鉄道の招きで長瀞を遊覧した高浜虚子俳句を刻んだ句碑も建つ[1]
付近の名所

埼玉県立自然の博物館

宝登山

宝登山神社

旧新井家住宅

西浦採銅坑跡

交通

鉄道 -
秩父鉄道秩父本線 長瀞駅から徒歩5分。

車 - 関越自動車道 花園インターチェンジから約20分。国道140号沿い。

その他

嵐山渓谷(
比企郡嵐山町
かつて嵐山渓谷(武蔵嵐山)は、その地形的な特徴から、長瀞岩畳に喩えて「武蔵長瀞」と呼ばれていたことがある。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 南は九州東部から長瀞まで約800kmに及ぶ世界的に見ても連続性の良い変成帯として盛んに研究が行なわれている岩石層で、四国では景勝大歩危小歩危として知られている。
^ 「stilpnomelane schist」という結晶片岩は、緑色片岩(緑泥石片岩や緑簾石片岩)に近いが、通常よりも高い圧力と温度のもとで生成されたために緑色ではなく褐色を呈したものであると考えられている。

出典^ a b c d読売新聞』よみほっと(日曜別刷り)2020年11月15日1-2面【ニッポン探景】地球の窓(埼玉県長瀞町)「月の石」満月に輝く
^ 本間岳史「 ⇒長瀞地質探訪(1)──虎岩のひみつ──」『埼玉県立自然史博物館 自然史だより』第43号、2000年。
^ 行く春 - 文化遺産オンライン文化庁

関連項目ウィキメディア・コモンズには、長瀞渓谷に関連するカテゴリがあります。

秩父地方

玉淀

名勝

平成百景

日本の地質百選

埼玉県の観光地

地質・鉱物天然記念物一覧

日本の峡谷・渓谷一覧

日本の段丘一覧

外部リンク

長瀞町観光協会公式ホームページ


長瀞 荒川ライン下りホームページ


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:32 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef