長渕剛
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この事件の捜査過程で、国生さゆり不倫していたことも明るみに出て[14][出典無効]、国生には記者会見で「薬物に対する(国生の)身の潔白と、長渕との関係も志穂美を交えて話し合い、関係を清算した」と発表されるなど歌手生命の危機に陥るも、志穂美の内助の功を得て復帰[14]。その後は度々トーク番組やバラエティー番組に出演するようになった[14]

のちに波乱万丈だった30代の頃を 「お金にまつわることや、まぁよくいる利権として群がる輩たち。具体的には話さないが、騙された。あの時期、裏切られたこと、たくさんあったな!はらわたが煮えくりかえるほど人を恨んだこともあった。信頼する人間に欺かれると、自分のすべてをはぎ取られたように自暴自棄になる。でも、しばらく経つと、思うんだ。裏切る人間を近くに置いたのは誰よ?とね。俺が選んだんじゃねえか!って。若い時にヒット曲が生まれて、周りに人がたくさん集まってくると、自分が特別に思えてしまう。有頂天になる。人生に勝った気分になって、猿回しの猿のような己に気付かない。そんな、どこまでも天狗になった自分の鼻をバーン!と蹴り折られたのが30代だったのかもしれない」「裏切った奴と街でばったり出会った時に、よっ、久しぶり!貴様!元気か?と笑える、本当の意味で強い人間になりたいと思った」と回想している[37]

2008年に長渕は事務所スタッフに暴行を働き辞められていたが[5]、2014年3月には元マネージャーから暴行による約200万円の賠償請求する訴えを起こされた[13]。これについて長渕の代理人弁護士は「事実無根」と反論している[13]。長渕は2003年にパーソナリティを務める『オールナイトニッポン』で学校で暴力を振るってしまった、という高校生リスナーからのメールに答える形で「殴った自分が正しいと思えればいいんじゃないか。我慢ならない時、あまりにもひどいじゃないかという時、俺は一発やっていいと思う。これは『肉体言語』だよ。『暴力』じゃないの。ただし、要は殴り方なんですよ。俺も時として『肉体言語[注釈 2]』がポーンと出ることはあるよ。でも反省はしてないし」と持論を展開している[13]。一方で「これが国単位の集合体の話になってくると、全然話が違う。たとえば軍隊とか軍事。そうした国家レベルの戦争の話と、僕らの身近な足元に転がっている暴力の話は、まったく論点が違うんですよ。それらを混同して、一緒くたにしてしまうと、非常におかしなことになる」とも発言している[48]

愛犬はホワイト・スイス・シェパードの「レオ」(平成27年11月26日永眠)、「アエラ」(令和元年6月22日永眠)、「パオ」とトイプードル「チビ」。愛犬を歌った曲もある。メールを打つときは絵文字も多用している。ジープを好み、その後ハマー H2を購入する。その時の取材で「H1は鉄が走っている感じ、あれは軍用車。H2はオシャレに乗れていい」と語っていたが、桜島のコンサートを機にH1を購入。1999年頃、自宅の近所にマンションが建設された際、自宅前にある道の車の往来が急に増え、さらに自分の子供がトラックに轢かれかけ「子供飛び出し注意」の巨大な看板(電飾、キャスター付)を自宅前に設置する。

に弱く一切飲まず、このことを語っている楽曲もいくつか存在する。以前は喫煙者であったが、50代に差しかかってから筋トレ禁煙・肉体改造を成功させ、今までの生活習慣などを規則正しくした[14]。肉体改造などを行ったことについてはライブツアー期間中に体調を崩したことが影響しており、「自己流では、俺自身が理想とする音楽活動、ステージパフォーマンスはできない!体力的にも、見栄えも。かっこいい衣装を探す前に、優秀なスタイリストに頼む前に、己の身体を作るのが先だ!そう確信した」としている[37]。自宅には高度なトレーニングマシンがあるという。全国ツアーにも同行するパーソナルトレーナーは元PRIDE王者の三崎和雄で、後楽園ホールで行われた三崎の現役引退セレモニーでは、リング上で長渕が「STAY DREAM」を熱唱した間柄[49][50]

自身の詩画展、第一回「俺の太陽」(1999年)、第二回「赤鬼」(2000年)、第三回「情熱」(2004年)、第四回「情熱」(2005年)、第五回「殺気 黒い血が流れる日」(2013年)を全国各地で開催した。その収益金の一部を阪神・淡路大震災で家を失った子供達等のために寄付した。

鹿児島県関連の九州新幹線開業キャンペーン「風は南から」の風の書体をデザインしている。その書体は、現在かごしま県民交流センターに展示されている。

山村聰ミヤコ蝶々大滝秀治植木等渥美清らと映画テレビドラマ等で共演しており、二谷英明稲盛和夫菅原文太加山雄三王貞治南こうせつ岩村明憲[51]朝青龍[52]倉本聰[53]渡哲也[54]白川由美[55]冨永愛[56]らと交流があり、岩沢厚治押尾コータロー福山雅治桜井和寿般若Zeebra、らも長渕の音楽性に影響を受けたという[36]。また、井上公造とは、大学時代の同じバイト仲間であり、現在も交友がある[57]
学歴

鹿児島県日置郡伊集院町(現:鹿児島県日置市)生まれ。

鹿児島県鹿児島市育ち。

鹿児島市立中郡小学校卒業。

鹿児島市立甲南中学校卒業。

鹿児島県立鹿児島南高等学校情報処理科卒業。

九州産業大学芸術学部中退。

家族

妻は志穂美悦子。長女は文音[58]。長男はミュージシャンのWATARU[59]こと航(わたる)。次男は[60]長渕蓮
作品詳細は「長渕剛の作品」を参照
シングル
雨の嵐山(1977年2月25日)

巡恋歌(1978年10月5日)

俺らの家まで(1979年3月5日)

祈り(1979年7月5日)

春待気流(1980年3月20日)

順子/涙のセレナーデ(1980年6月5日)

ヒロイン(1980年10月5日)

夏の恋人(1981年5月5日)

二人歩記(1981年10月21日)

花いちもんめ(1982年4月21日)

恋人時代(1983年4月1日)

GOOD-BYE青春(1983年9月1日) - テレビドラマ『家族ゲーム』(1983年、TBS系列)テーマ曲

孤独なハート(1984年3月21日) - テレビドラマ『家族ゲームII』(1984年、TBS系列)主題歌

久しぶりに俺は泣いたんだ(1985年3月30日)

勇次(1985年7月20日)

SUPER STAR(1986年7月2日) - テレビドラマ『親子ゲーム』(1986年、TBS系列)主題歌

ろくなもんじゃねえ(1987年5月25日) - テレビドラマ『親子ジグザグ』(1987年、TBS系列)主題歌


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