のちに波乱万丈だった30代の頃を 「お金にまつわることや、まぁよくいる利権として群がる輩たち。具体的には話さないが、騙された。あの時期、裏切られたこと、たくさんあったな!はらわたが煮えくりかえるほど人を恨んだこともあった。信頼する人間に欺かれると、自分のすべてをはぎ取られたように自暴自棄になる。でも、しばらく経つと、思うんだ。裏切る人間を近くに置いたのは誰よ?とね。俺が選んだんじゃねえか!って。若い時にヒット曲が生まれて、周りに人がたくさん集まってくると、自分が特別に思えてしまう。有頂天になる。人生に勝った気分になって、猿回しの猿のような己に気付かない。そんな、どこまでも天狗になった自分の鼻をバーン!と蹴り折られたのが30代だったのかもしれない」「裏切った奴と街でばったり出会った時に、よっ、久しぶり!貴様!元気か?と笑える、本当の意味で強い人間になりたいと思った」と回想している[37]。
2008年に長渕は事務所スタッフに暴行を働き辞められていたが[5]、2014年3月には元マネージャーから暴行による約200万円の賠償請求する訴えを起こされた[13]。これについて長渕の代理人弁護士は「事実無根」と反論している[13]。長渕は2003年にパーソナリティを務める『オールナイトニッポン』で学校で暴力を振るってしまった、という高校生リスナーからのメールに答える形で「殴った自分が正しいと思えればいいんじゃないか。我慢ならない時、あまりにもひどいじゃないかという時、俺は一発やっていいと思う。これは『肉体言語』だよ。『暴力』じゃないの。ただし、要は殴り方なんですよ。俺も時として『肉体言語[注釈 2]』がポーンと出ることはあるよ。でも反省はしてないし」と持論を展開している[13]。一方で「これが国単位の集合体の話になってくると、全然話が違う。たとえば軍隊とか軍事。そうした国家レベルの戦争の話と、僕らの身近な足元に転がっている暴力の話は、まったく論点が違うんですよ。それらを混同して、一緒くたにしてしまうと、非常におかしなことになる」とも発言している[48]。
愛犬はホワイト・スイス・シェパードの「レオ」(平成27年11月26日永眠)、「アエラ」(令和元年6月22日永眠)、「パオ」とトイプードル「チビ」。愛犬を歌った曲もある。メールを打つときは絵文字も多用している。ジープを好み、その後ハマー H2を購入する。その時の取材で「H1は鉄が走っている感じ、あれは軍用車。H2はオシャレに乗れていい」と語っていたが、桜島のコンサートを機にH1を購入。1999年頃、自宅の近所にマンションが建設された際、自宅前にある道の車の往来が急に増え、さらに自分の子供がトラックに轢かれかけ「子供飛び出し注意」の巨大な看板(電飾、キャスター付)を自宅前に設置する。
酒に弱く一切飲まず、このことを語っている楽曲もいくつか存在する。以前は喫煙者であったが、50代に差しかかってから筋トレで禁煙・肉体改造を成功させ、今までの生活習慣などを規則正しくした[14]。肉体改造などを行ったことについてはライブツアー期間中に体調を崩したことが影響しており、「自己流では、俺自身が理想とする音楽活動、ステージパフォーマンスはできない!体力的にも、見栄えも。かっこいい衣装を探す前に、優秀なスタイリストに頼む前に、己の身体を作るのが先だ!そう確信した」としている[37]。自宅には高度なトレーニングマシンがあるという。全国ツアーにも同行するパーソナルトレーナーは元PRIDE王者の三崎和雄で、後楽園ホールで行われた三崎の現役引退セレモニーでは、リング上で長渕が「STAY DREAM」を熱唱した間柄[49][50]。
自身の詩画展、第一回「俺の太陽」(1999年)、第二回「赤鬼」(2000年)、第三回「情熱」(2004年)、第四回「情熱」(2005年)、第五回「殺気 黒い血が流れる日」(2013年)を全国各地で開催した。その収益金の一部を阪神・淡路大震災で家を失った子供達等のために寄付した。
鹿児島県関連の九州新幹線開業キャンペーン「風は南から」の風の書体をデザインしている。その書体は、現在かごしま県民交流センターに展示されている。
山村聰、ミヤコ蝶々、大滝秀治、植木等、渥美清らと映画やテレビドラマ等で共演しており、二谷英明、稲盛和夫、菅原文太、加山雄三、王貞治、南こうせつ、岩村明憲[51]、朝青龍[52]、倉本聰[53]、渡哲也[54]、白川由美[55]、冨永愛[56]らと交流があり、岩沢厚治、押尾コータロー、福山雅治、桜井和寿、般若、Zeebra、らも長渕の音楽性に影響を受けたという[36]。また、井上公造とは、大学時代の同じバイト仲間であり、現在も交友がある[57]。 妻は志穂美悦子。長女は文音[58]。長男はミュージシャンのWATARU[59]こと航(わたる)。次男は[60]長渕蓮。
学歴
鹿児島県日置郡伊集院町(現:鹿児島県日置市)生まれ。
鹿児島県鹿児島市育ち。
鹿児島市立中郡小学校卒業。
鹿児島市立甲南中学校卒業。
鹿児島県立鹿児島南高等学校情報処理科卒業。
九州産業大学芸術学部中退。
家族
作品詳細は「長渕剛の作品」を参照
シングル
雨の嵐山(1977年2月25日)
巡恋歌(1978年10月5日)
俺らの家まで(1979年3月5日)
祈り(1979年7月5日)
春待気流(1980年3月20日)
順子/涙のセレナーデ(1980年6月5日)
ヒロイン(1980年10月5日)
夏の恋人(1981年5月5日)
二人歩記(1981年10月21日)
花いちもんめ(1982年4月21日)
恋人時代(1983年4月1日)
GOOD-BYE青春(1983年9月1日) - テレビドラマ『家族ゲーム』(1983年、TBS系列)テーマ曲