2007年、衆議院議員在職中ながら第21回参議院議員通常選挙に民主党公認で千葉県選挙区から出馬し、定数3の同選挙区でトップ当選した[4]。なお参院選への立候補に伴い、衆議院議員を自動失職した。これは長浜、及び第41・42回衆議院議員総選挙では比例南関東ブロック単独で当選した松崎公昭の地盤がいずれも千葉8区(我孫子市全域・柏市の大部分)だったため、毎回難航した千葉8区における調整を解消する目的での鞍替えであった。現職の衆議院議員の参議院議員への転出は極めて異例である。
2009年、鳩山由紀夫内閣で厚生労働副大臣に任命され、菅直人内閣まで務める[3]。2011年、野田内閣で内閣官房副長官に任命され、野田第2次改造内閣まで務める[3]。
2012年10月、野田第3次改造内閣で環境大臣として初入閣し、併せて原発事故の収束及び再発防止担当大臣と内閣府特命担当大臣(原子力防災)を兼務した[3]。同年12月、民主党は第46回衆議院議員総選挙で大敗し、第2次安倍内閣の発足に伴い退任した。
2013年、第23回参議院議員通常選挙に民主党公認で千葉県選挙区から出馬。トップ当選した前々回の選挙に対し、野党転落後初の大型国政選挙であるこの参院選においても民主党に対する逆風が吹き、千葉県選挙区では最下位(得票数3位)の辛勝であった[5]。
2015年1月、民主党代表に選出された岡田克也の下、民主党倫理委員長に起用された[6]。
2018年5月7日、民進党と希望の党の合流により結党された国民民主党に参加[7]。5月8日、国民民主党の総務副会長に就任した[8]。2018年10月19日、党に離党届を提出、22日に院内会派を退会した[9]。国民民主党は同月24日の総務会で「本党の運営に著しい悪影響をおよぼす」行為であるとともに「党の結束を乱す行為・言動」に抵触する重大な反党行為として、同時期に離党届を提出した今井雅人とともに離党届を受理せず除籍処分相当と判断し[10]、11月21日に正式に除籍が決定した[11]。12月25日に立憲民主党に入党した[12]。
2019年、第25回参議院議員通常選挙で立憲民主党公認で千葉県選挙区から出馬し、3選。幹事長を兼任していた福山哲郎に代わり参議院議員会長に選出された[13]。
2020年8月24日、旧立憲民主党と旧国民民主党は、2つの無所属グループを加えた形で合流新党を結成することで合意した[14]。同年9月10日に行われた新「立憲民主党」の代表選挙では枝野幸男の推薦人に名を連ねた[15]。
2021年10月11日、衆議院議員の生方幸夫が拉致問題における不適切な発言の責任を取って、立憲民主党千葉県連の会長を辞任。長浜が後任会長に選ばれた[16]。直後の第49回衆議院議員総選挙で立憲民主党は議席を「109」から「96」に減らし、11月2日、枝野幸男代表は引責辞任を表明[17]。2代目の代表選挙(11月30日実施)では小川淳也の推薦人に名を連ねた[18]。
2022年8月3日、第33代参議院副議長に就任する。副議長就任に伴い、立憲民主党会派を離脱し無所属となる。
人物
厚生労働大臣だった長妻昭の指示により厚生労働省内に発足した「若手プロジェクトチーム(PT)」(平均年齢33歳の職員34人)が6チームに分かれて、業務効率化やサービス改善策について無記名のアンケート調査を行った[19] 結果、「現在仕えている上司について、当てはまると思うものはどれか(複数回答)」という質問に対し「(政務三役の)おごりを感じる」という答えが48.0%、また自由意見に「政務三役から優先順位がなく現実的なスケジュール感のない宿題が山ほど出されていることが、問題」などがあった[20]。