長江
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一番の源流(本源)がタンラ山脈(唐古拉山脈)の氷河に発する沱沱河(トト河)、南の源流(南源)がタンラ山脈東部の広大な沼地帯に発する当曲(ダムチュー)、北の源流(北源)が野生生物の多いフフシル山地に発する楚瑪爾河(チュマル河)である。

これらの川は、タンラ山脈の北に広がるチベット高原北東部の地帯の峡谷を流れる。途中で沱沱河は当曲と合流して通天河となり、曲麻?県の西部で楚瑪爾河とも合流する。通天河は沱沱河と当曲の合流地点から玉樹チベット族自治州の巴塘河口までの813キロメートルの区間である。巴塘河(中国語版)口からは金沙江と名が変わる。

長江の源流については長年考察が加えられてきたが、代に地理学者・徐霞客が金沙江を源流とする論考を残し、さらに代には通天河の存在も知られるようになった。1956年1977年の長江源流域調査により、沱沱河が長江の源流と定められた。
金沙江上流の金沙江。雲南省の虎跳峡雲南省麗江市石鼓鎮で南向きから北向きへ180度流れを変える金沙江(長江第一湾)

金沙江は長江の上流部であり、青海省西南部の玉樹チベット族自治州の巴塘河口から、四川省宜賓市岷江合流点までを指す。全長は2,308 km、流域面積は340,000 km2で、落差は3,300 mに達する。チベット語ディチュ河ワイリー拡張方式のチベット語表記: 'bri chu)と呼ばれる川と部分的に重なる。岷江と金沙江が合流し長江が始まる地点(四川省宜賓市岷江口)

青海省西部で発した後、南の崑崙山脈へ向かい、青海省とチベット(西蔵)自治区の境界をなすタンラ山脈の北麓を流れ、チベット東部のカム地方を東西に二分している。東経97度、北緯27?37度付近では、中国の行政区分でいう「西蔵」と「四川」の境界となっている。

また四川省から雲南省にかけての褶曲山脈地帯(横断山脈)では、南東へ流れる金沙江と瀾滄江メコン川上流部)、怒江サルウィン川上流部)がそれぞれ深い谷間を刻みながら平行に流れ、三江併流をなしている。この三江併流部分の三河川間の距離は小さく、金沙江と瀾滄江が最も接近する地点では37 kmしか離れていない[7]

雲南省のシャングリラ市(旧称:中甸県)から玉竜ナシ族自治県の間では、金沙江は「虎跳峡」と呼ばれる大峡谷を流れている。左岸には哈巴雪山、右岸には玉龍雪山という5,000 m級の高山がそそり立ち、川の両岸には落差2,000 mにも及ぶ断崖絶壁が迫っている。

ここまではほぼ北から南へと流れていた金沙江は、麗江市玉竜ナシ族自治県石鼓鎮において流路をほぼ反転させ、南から北へと流れるようになる。この大蛇行は長江第一湾と呼ばれ、観光名所となっている。ここでの流路変更が地図上ではあまりに鋭角で不自然な流れであることから、河川争奪が起こり、そのまま南へと流れ紅河となっていた上流部が長江へと奪われ東へ流れるようになったという説が提唱された[8]。この説に対する反論としては石鼓のような高度の高い高原においては河川争奪は起きにくく、また南へと続くルート上の堆積物と金沙江上流域の地質がまったく違うことや、現在の流路と地質構造線が一致していることなどが挙げられる[9]。この長江第一湾は流路の大きな転換点であり、ここまで南へと流れていた長江はここから基本的には東流するようになる。

金沙江は攀枝花市において雅?江を合わせる。攀枝花市は1965年に建設された新しい都市であり、攀鋼集団を中心とする鉄鋼業を基盤とする。また、攀枝花市は長江本流沿いの大都市としては最も上流に位置し、成昆線がここで金沙江を渡る。さらに東へ流れる金沙江は、山岳部を抜けて四川盆地に入り宜賓市の岷江口で岷江と合流し、長江と名を変える。
川江長江中流に面する湖北省宜昌市

宜賓から湖北省宜昌市まで、四川盆地や三峡を流れる長江上流は、四川を流れることから俗に「川江」と呼ばれる。険しい山岳地帯を流れてきた源流部とは違い、宜賓より下流は流れも緩やかになり、船の航行も可能となる。宜賓からは四川盆地の南縁を流れ、重慶市に達する。重慶は南西から流れてきた長江と北から流れてきた嘉陵江が合流する地点に発達した都市であり[10]、四川盆地東部の中心都市として、また大型船舶の終着地点としても重要な役割も果たしている。三峡ダムの建設によって、それまで3,000 t級の船しか遡上できなかったのが10,000 t級の大型船舶まで重慶に航行できるようになり[11]、河港都市としての重慶の重要性はより増した。重慶市中心部を過ぎると四川盆地は終わり、両側には険しい山岳が迫るようになる。重慶市奉節県白帝城を過ぎると、宜昌市までの間は瞿塘峡巫峡西陵峡の三つの大峡谷、いわゆる三峡が120 kmにわたって続き、重慶から「長江三峡下り」を楽しむ観光客も多い。三峡の終点である宜昌市には2012年三峡ダムが完成し、膨大な電力を生み出し流量を調節している。一方で、このダムの完成は景勝地であった三峡の風景を変化させ、また上流に住む140万人の住民は移住を余儀なくされることとなった[12]。この三峡の終点までが、長江の上流域となっている。
荊江湖北省黄岡市から望む長江と対岸の鄂州市


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