長征
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西康省チベットカム地方、現在の四川省西部)に入り大雪山を踏破した紅一方面軍は、1935年6月、懋功県(現在の小金県)で念願の紅軍別働隊との合流を果たすが、これは当初目指していた紅二方面軍ではなく紅四方面軍との邂逅であった。この過程で国民党軍は紅軍の捕捉が不可能となり、追尾を放棄した。

紅一方面軍はカム地方各地で自治を行っていたチベット人貴族の資産を強制没収し農民を解放するなどして自治国家を築かせようとしたが、国民党政府からの要請も受けたチベットのガンデンポタン政府が紅軍に攻撃を行い、紅一方面軍はこれを逃れて北の甘粛省方面にたどり着いた。カムでの農民の見聞とガンデンポタン軍による攻撃は、その後の共産党のチベット観に暗い影響を与える。また途中で紅四方面軍の一部は党中央の北上路線を拒否し南下に転じたが、その過程で大きな損害を被った。

甘粛省では回族の軍閥・馬家軍による攻撃を受けたが、馬家軍内の親ソ派に助けられ陝西省方面へ逃れた。かくして、江西省・湖南省・貴州省・雲南省・四川省・甘粛省・陝西省と転戦、大自然・軍閥・国民党軍を相手に戦った紅一方面軍は1935年10月に忽然と陝西ソビエト区に姿を現し、1935年10月19日呉起県(現在は延安市に属する)にたどり着き、ここで紅一方面軍の長征の完了を宣言した。一部の部隊は甘粛省から西進し、新疆まで達してソビエト連邦との連絡に成功している。 

貴州省にいた紅二方面軍も1935年11月19日、紅一方面軍の後を追うように長征を開始して雲南省に入り、金沙江玉龍雪山を越え、そこから北上して横断山脈を越えた。1936年7月始め、紅二方面軍は途中の甘孜県で当地に留まっていた紅四方面軍と合流した。1936年10月22日静寧県将台堡で紅二方面軍と紅四方面軍は紅一方面軍に合流し(三軍会師)、これにより長征は完了した。

この過程で8万を越えていた兵力が死亡・脱落などにより数千人にまで減少するなど、大きな打撃を受けたが、これ以後、毛沢東の指導権が確立され、国民政府に対する攻勢に転じる転換点として、共産党は「長征一万里」として、栄光ある事業と位置づけている。
参照文献

森下修一『国共内戦史』三州書房、1970年

竹内実監修『長征の道 中国 瑞金―延安12000キロ』日本放送協会、1986年

村瀬興雄編『世界の歴史15 ファシズムと第二次世界大戦』中公文庫、1975年

今井駿、久保田文次、田中正俊、野沢豊著『中国現代史』山川出版社、1984年

軍事科学院軍事歴史研究部編『中国人民解放軍戦史』第一巻、軍事科学出版社、1987年

依田憙家編訳『星火燎原』第二巻、新人物往来社、1971年

『?介石秘録』8 - 10巻、サンケイ新聞社出版局、1976年

児島襄『日中戦争』2 - 3巻、文藝春秋、1988年

『20世紀年表』毎日新聞社、1997年

竹内実編集『中国近現代論争年表上』同朋舎出版、1992年

中国図書進出口総公司編訳『中国現代史年表』国書刊行会、1981年

阿羅健一『日中戦争はドイツが仕組んだ』小学館 2008年

野村浩一『中国の歴史9 人民中国の誕生』講談社、1974年

John K.Fairbank.(ed.), Republican China 1912-1949; pt. 2, Cambridge University Press, 1983-1986.

関連項目

中国人民解放軍

八路軍

六盤山

長征指導者一覧

横山光輝 - コミック「長征」[8]

エドガー・スノー中国の赤い星

脚注[脚注の使い方]
注釈^ 第五次囲剿を更に、第五、第六、第七次に分割する見方もある[2]
^ 本文では第六次、第七次区分を除いて森下 1970を準拠としている。以下に、時期区分の相違例を列挙する。ノートも参照。
第一次囲剿 1930年12月 - 1931年1月(?介石秘録8、児島『日中戦争』2巻 1988、毎日新聞社 1997、今井など1984、依田憙家編訳 1971、中国図書進出口総公司編訳 1981)1930年11月 - 1931年1月(村瀬興雄編 1975、軍事科学院軍事歴史研究部編 1987)1930年11月 - (竹内実監修 1986、竹内実編集 1992)1931年末 - (John K.Fairbank.(ed.),1983-1986.)第二次囲剿1931年4月 - 5月(今井など1984、軍事科学院軍事歴史研究部編 1987、児島『日中戦争』2巻 1988、毎日新聞社 1997、中国図書進出口総公司編訳 1981)1931年2月 - 5月(依田憙家編訳 1971)1931年3月 - 5月(村瀬興雄編 1975)1931年2月 - (竹内実監修 1986)1931年4月 - (竹内実編集 1992、?介石秘録8)1932年5月 - 6月(John K.Fairbank.(ed.),1983-1986.)第三次囲剿1931年7月 - 9月(村瀬興雄編 1975、今井など1984、軍事科学院軍事歴史研究部編 1987、?介石秘録8 - 9、児島『日中戦争』2巻 1988、中国図書進出口総公司編訳 1981)1931年7月 - 8月(毎日新聞社 1997)1931年7月 - (竹内実監修 1986、竹内実編集 1992)1932年7月 - 10月(John K.Fairbank.(ed.),1983-1986.)第四次囲剿1932年6月 - 1933年2月(竹内実編集 1992)1932年6月 - 1933年3月(竹内実監修 1986、児島『日中戦争』2巻 1988、中国図書進出口総公司編訳 1981)1932年6月 - 1933年4月(?介石秘録10)1933年1月 - 1933年4月(今井など1984)1933年2月 - 1933年3月(軍事科学院軍事歴史研究部編 1987)1932年夏から(村瀬興雄編 1975)1932年6月 - (依田憙家編訳 1971、毎日新聞社 1997)1933年(John K.Fairbank.(ed.),1983-1986.)第五次囲剿1933年10月 - 1934年10月(?介石秘録10、竹内実編集 1992、中国図書進出口総公司編訳 1981)1933年10月 - 1934年11月(毎日新聞社 1997)1933年9月 - (軍事科学院軍事歴史研究部編 1987)1933年10月 - (竹内実監修 1986、今井など1984、児島『日中戦争』3巻 1988、竹内実編集 1992)1933年末から(John K.Fairbank.(ed.),1983-1986.)

出典^ 『世界大百科事典 第2版』平凡社 2006年
^ 森下 1970
^ 森下 1970 p.31
^ a b 森下 1970 p.32
^ John K.Fairbank.(ed.),1983-1986. p. 206.
^ 野村浩一『中国の歴史9 人民中国の誕生』講談社、1974年。pp. 276-277.
^ 今井駿、久保田文次、田中正俊、野沢豊著『中国現代史』山川出版社、1984年。(参照は1版6刷)pp. 175-176.
^ “長征”. 光プロダクション. 2024年2月14日閲覧。

外部リンク

The Myth of the 'Turning-Point'. Towards a New Understanding of the Long March (from 'Bochumer Jahrbuch zur Ostasiengeschichte', 2001)

『長征』 - コトバンク

典拠管理データベース: 国立図書館

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