長嶋茂雄
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^ 2人はともに「プロでやるなら一緒に」と誓い合っていた[24][25]
^ 杉浦が中日に入団しようとした理由について、長嶋や杉浦にとって立教大学の先輩に当たる坪内道典(中日OB)は自著『風雪の中の野球半世記』 (1987) で「(杉浦の)地元球団だったからだろう」と推測している[23]ほか、元中日球団代表・高田一夫(任期:1961年 - 1964年)は「杉浦は『愛知県出身だから、中日ファンだ』と言っていた」と証言している[26]。後に杉浦は坪内から真偽について問われ「そんなことがありましたねえ」と話した[25]ほか、長嶋も高田と親交のあった近藤唯之からこの件について問われて動揺を見せている[26]
^ 坪内は自著で、杉浦と長嶋が中日の球団事務所を訪れて入団を願い出た出来事について「1955年9月、杉浦・長嶋は2人で東京・西銀座の中日球団事務所を訪れ、応対した中村三五郎球団代表に対し『中日に入団させてほしい』と申し出たが、中村から諭されて帰された」と述べている[23][25]。一方、近藤は親交のあった高田一夫(当時:球団代表代行)の「2人は2年生の暮れごろ、名古屋の中日本社に突然がやってきて『中日に入団させてほしい』と申し出た。しかし、球団代表代行を務めていた自分が『とにかく卒業してからこい。大学生は勉強が本分なんだから』と説教した」という証言を取り上げている[27]
^ この逸話を取り上げた杉井輝応は、長嶋と親交のあった鶴田浩二について取り上げた自著『鶴田浩二』 (1997) で「(もし2人の中日入団が実現していたら、杉浦が入団した)南海の御堂筋パレード(優勝パレード)は名古屋の広小路(優勝)パレードになっていたかも知れない。(長嶋が入団した)巨人のV9は中日のV9になっていたかも知れない。中日は惜しい逸材を逃したものだ」と述べている[28]。また、近藤 (2006) は「中日は長嶋と杉浦を自分から無料でいいというのに、とり逃がしてしまった」と[26]、坪内 (1987) も「(もし中日に入団していれば)長嶋は『ミスター・ドラゴンズ』になるところだったが、中日は大魚(後に球史に残るスーパースターになった2人)を2匹逃した。中村代表は1956年ごろ、このことを悔しがってみんなに話していた」と述べている[29]。中日球団の親会社である中日新聞社が発行する『中日スポーツ』の記者・増田護 (2020) は「巨人と南海でともに新人王になる2人(長嶋と杉浦)をそのまま入団させていれば間違いなく中日、いやプロ野球の歴史が変わっただろう。そこまでのスターになるとは思っていなかったのかもしれないが、筆者は迷える大学生を説教して追い返した中村代表に敬服する。」と述べている[25]
^ この記録を前に持っていたのは、1930年宮武三郎慶大阪急軍初代主将としても活躍。)、1936年呉明捷早大。2014年の台湾映画KANO 1931海の向こうの甲子園』では準主役的な存在として描かれた。)で共に7本塁打を打っていた。
^ 大映スターズオーナーの永田雅一が卒業後の獲得を目指して大学1年生の時に長嶋と実家で面会し「優勝するチームで野球がしたい」と言われたことがNHKテレビの『その時歴史が動いた』(2005年2月9日放送分)で紹介されている[31]
^ 阪神タイガースのスカウト青木一三は大学を中退させての獲得に向けて本人や家族と交渉した[32]が、藤村排斥事件を受けて頓挫している。
^ 広島カープも長嶋を広島観光に誘うなどしていた。
^ 長嶋は、父が亡くなってから行商をするなどして家計を支えた母親を非常に尊敬しており、母親の懇願を断ることが出来なかったという。
^ 当時は川上の背番号16は永久欠番に指定されておらず、その8年後の1965年に指定された。
^ このケースでは、長嶋は二塁を踏んだ瞬間に一塁を踏み直すことが許されなくなり(公認野球規則7.10(b)(2))、投手がボールを保持してプレーがかかったのち、投手が最初の投球をする前に一塁手の藤井弘が送球を要求し、鵜狩から送球を受けて触塁しアピールし、一塁塁審の竹元勝雄がアウトを宣告した[36]。この場合、投手に補殺、一塁手に刺殺が記録され、記録上投手ゴロと同じためこのように伝えられている。
^ 1946年から1960年までの正式な球団名称は「大阪タイガース」であったが、この間も略称として「阪神」が、通称として「阪神タイガース」が使われていた。
^ 川上哲治の記録を6年ぶりに塗り替え、王貞治に抜かされるまで5年間保持。
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