長崎市への原子爆弾投下
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? 長崎市編『ナガサキは語りつぐ』岩波書店 1995年 91頁)[注釈 20]香焼島から撮影された長崎原爆のキノコ雲(松田弘道撮影)

この時の原爆爆発の様子は16mmのカラーフィルムに3分50秒の映像として記録された。この映像には爆発時の火の玉からキノコ雲までがはっきりと写っている[注釈 21]

長崎のキノコ雲については、爆心地から約10キロメートル離れた香焼町で炸裂から約15分後に住民が撮影した写真や、大村市の大村海軍病院から撮影された写真[22]が残されている他、遠くの県からも見えたとの証言もある。約100キロメートル離れた熊本県熊本市でも「ピカッと閃光が走り、空気がぶるぶるっと震え、遠くにキノコ雲が上がるのが見えた」との証言がある[23]。また遠く200キロメートル離れ、九州山地の東側に位置する大分県中津市でも「あの日長崎方面から立ち上がるキノコ煙が見え、何事かと不安になり恐ろしかった」と当時を語る証言もある。
帰還

ボックスカーは長崎市上空を離脱する際には残燃料約1,000リットルであり、計算では沖縄の手前120キロメートルから80キロメートルまでしか飛べないと考えられた。スウィーニーはエンジンの回転数を落とし徐々に降下することで燃料を節約し、14時に沖縄県読谷飛行場に緊急着陸した[注釈 22]。残燃料は僅か26リットルであったという。着陸後、スウィーニーはドーリットル空襲で名を馳せたアメリカ第8航空軍司令官ジミー・ドーリットル陸軍中将と会談した。燃料補給と整備が終了したボックスカーとグレート・アーティストは17時過ぎに離陸、23時06分にテニアン島に帰還した。
長崎原爆破壊された浦上天主堂(1946年1月7日撮影)荒野状態の浦上天主堂付近破壊された寺院と仏像(1945年9月24日撮影)

長崎原爆はプルトニウム239を使用する原子爆弾である。このプルトニウム原爆はインプロージョン方式で起爆する。長崎原爆「ファットマン」はTNT火薬換算で22,000トン(22キロトン)相当の規模にのぼる。この規模は、広島に投下されたウラン235の原爆「リトルボーイ」(TNT火薬15,000トン相当)の1.5倍の威力であった。そして日本に落ちた原爆はニューメキシコ州のロスアラモスにあるロスアラモス国立研究所で作られた。

目視確認した上での投下が重要命令であったものの、当日は街が雲で覆われていて僅かな雲の切れ間から街が見えたチャンスにそこに投下することとなり、その結果、投下地点は予定していた市街地の中心部ではなくなった[14]。長崎市は周りがで囲まれた特徴ある地形で、近くにあった山のため、熱線爆風が山によって遮断された結果、広島よりも破壊被害は軽減された。周りが平坦な土地であった場合の被害想定は、広島に落とされた「リトルボーイ」の威力を超えたとも言われている。仮に小倉に落とされた場合、山口県下関市を含めた関門エリアの壊滅が予想され、広島よりも大きな被害になったとされる。

長崎県知事が広島原爆教訓をもとに、9日に避難命令の検討を行おうとしていたが、間に合わなかった。同じく投下目標都市になっていた新潟は、10日に知事が命令を決定し、11日から集団疎開が始まった(原爆疎開)。

この節の加筆が望まれています。

長崎原爆投下の背景と経緯

長崎型の原爆は自然界には極微量しか存在しない元素プルトニウム239を(原子炉を運転して人工的に製造して)使用する。また爆弾の材料のプルトニウムはその同位体純度から来る問題や高濃縮ウランとは異なる反応特性を持つため、爆弾の動作原理と構造には全く異なるものが必要になる。そのため、その開発はウランを使用する広島原爆とは違った道程を辿った。
アメリカとイギリスと日本の軍事的な経緯

1939年8月2日、イギリス委任統治領パレスチナヘブライ大学建設資金集めに尽力してきたユダヤ人アインシュタインが、フランクリン・ルーズベルト大統領に宛てた手紙(アインシュタイン=シラードの手紙)で、「大量のウラン核分裂連鎖反応を起こす現象は、新型爆弾の製造につながるかもしれない。飛行機で運ぶには重過ぎるので、船で運んで港湾ごと爆破することになる。アメリカで連鎖反応を研究している物理学者グループからなる諮問機関をつくるのがいい」と進言。

1939年9月1日、第二次世界大戦勃発。

1939年10月11日、その手紙(アインシュタイン=シラードの手紙)がフランクリン・ルーズベルト大統領に届けられる。

1939年10月21日、アメリカはウラン諮問委員会を設置。

1940年4月10日、イギリスが、第一回ウラン爆発軍事応用委員会(MAUD委員会)の会議を開催。

1940年4月、理化学研究所(理研)の仁科芳雄がウラン爆弾計画を安田武雄陸軍航空技術研究所長に進言[25]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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