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出典検索?: "長坂秀佳" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2016年1月)
長坂 秀佳(ながさか しゅうけい(本名:ひでか)[1]、1941年11月3日[2][1] -)は、脚本家、小説家、放送作家。別名義として出雲 五郎(いずも ごろう)がある[1]。 愛知県豊川市出身[1]。子供のころから本好きだったが、実家は裕福でなく本がなかなか買えなかったため、もっぱら貸本屋に入り浸り、店の主人から「ウチにはお前の読む本は残ってないよ」と言われたほどであった。 愛知県立豊橋工業高等学校機械科在学中に観た『野獣死すべし』に衝撃を受け、映画業界を志す[1]。高校卒業後、上京しプラスチック工場で働いた後に東宝撮影所に入社する[1]。美術助手を5年間務めた後、テレビ部企画課へ異動した[1]。これらの経緯は脚本家となる彼の作風に大きく影響することになる。 1966年、「NHKシナリオコンクール」で『ものを言う犬』が佳作に入選し、1968年に同作品がテレビドラマ化されたことをきっかけに脚本を手掛けるようになる[1]。 東宝撮影所を経て[2][3]、1970年に独立し[注釈 1]、フリーの脚本家となる[1]。『帰ってきたウルトラマン』からは特撮作品にも関わり始め初期の主な作品に『刑事くん』『人造人間キカイダー』『快傑ズバット』『小説吉田学校』(映画)など。『特捜最前線』では10年間の放映期間で109本を執筆し、メインライターとして番組を支え続けた。 1989年『浅草エノケン一座の嵐』で第35回江戸川乱歩賞を受賞[2][1][4]。以降『都会の森』『ジュニア・愛の関係』といった連続ドラマを執筆するかたわら、ゲームソフト『弟切草』『街 ?運命の交差点?』『彼岸花』の原作・脚本なども手がけた。また1999年には『透明少女エア』でドラマ初監督にも初挑戦した。 テレビの仕事を控えてゲームシナリオやホラー小説の執筆に活動の重きを置いていた時期もあったが、近年はまたテレビドラマの仕事に軸足を戻しており、80歳の現在でもますます旺盛な作家活動を続けている。 筆は非常に早く、他のライターよりも締切りまでにプロデューサーの元にシナリオを届けることが出来たといい、自身でもそれを売りにしている[5]。そんな長坂に対し、鈴木武幸プロデューサー(後に東映専務取締役、現在は退社)は「長坂さんはパンクチュアルな人だ」との賛辞を送ったという[6]。
来歴・人物
作風