長坂秀佳
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人造人間キカイダー』最終回のジローが「不完全な良心回路に負けない強い精神を持つために旅に出る」、即ち物理的な処置でしか成し得ない筈の、回路の改良を精神の力で成そうというエピソードを例にとり、長坂の作風を精神主義的イデオロギーに傾倒していると評する声もある[10]

自身の作品には必ず「父子」のテーマが入ると述べている[5]。『仮面ライダーX』ではシリーズで初めて主人公の親子関係にクローズアップしたが、この要素は長坂が執筆した第1話・第2話に留まり定着には至らなかった[5]。また、ゲーム『街』のシナリオの一つにも、一人の主人公とその父親に関係する話が収録されている。
エピソード

メインライターを務めた『
キカイダー01』にハカイダー部隊が登場することになったのは『キカイダー』の撮影現場にハカイダーの予備スーツがあるのを見た長坂が「もったいないから予備も使おう」とアイデアを出したことによる[11]

ウルトラマンA』29話「ウルトラ6番目の弟」で梅津ダンが登場する脚本を書いたのは当時長坂に同名の長男が誕生し「息子に捧げる意味で書いた」と後のインタビューで明かしている。

まだ脚本だけでは食べていけなかった時代にはワイドショー『金原二郎ショー』の構成に参加していたこともある。

『仮面ライダーX』では、それまでの平山亨プロデュース作品でパイロットを担当していた伊上勝に替わり第1話を担当した[5]。長坂は「新しいことをやりたかったのではないか」と述べており、詳細な打ち合わせはなかったと証言している[5]。しかし、第1話・第2話の後は第7話・第8話を執筆したのみで降板している。これについて路線変更によるものと見る向きもあるが、長坂自身は「態度が悪かったから降ろされた」と推測している[5]

快傑ズバット』では全32話中30話を執筆しているが、2話分(第7話と第12話)を他の脚本家に任せたのは「1年続くと思っていたので、一人では全部書けないと思ったから」とのことである。しかし、作風の違いが目立ったため、残りは自分で書くことになった[12]。結局32話で終了したため「そうなると最初から分かっていれば全部自分で書いた」とも語っている[13]。その後、長坂は一旦特撮作品から距離を置き、大人向けドラマを主に執筆することになるが、その理由として、ゲームソフト『街』の発売の際に『セガサターンマガジン』で組まれた長坂の短期集中連載企画でのインタビューで彼は「(特撮作品で)やりたいことは快傑ズバットで全てやり尽くした」と語っている。

1980年代はキャラクター作品とは距離を置き大人向けドラマを主に執筆していたが、偶然テレビで『仮面ライダーBLACK』を見て、久しぶりにキャラクター作品執筆の意欲に駆られたという(長坂はライダーの黒の佇まいに惚れ込んだとのこと)。そこで旧知の東映・齋藤頼照プロデューサーを通して作品の参加を志願したものの、吉川進プロデューサーの返答は「ギャラが高すぎるから無理」。結局参加は断られたという。

そしてその後映画『人造人間ハカイダー』が制作されるとき、吉川は長坂に脚本執筆依頼をすべく連絡したが、長坂は多忙を理由に断ったという[注釈 2]。後にその際の事情をすっかり忘れた長坂が「石ノ森章太郎を送る会」にて吉川と会うなり「なんでオレに書かせてくれなかったんだ」と詰ったが、「電話したけど、忙しいって言ってたじゃない」と返されたという[14]

『特捜最前線』のころからの付き合いで長坂の長年の悪友でもあるテレビ朝日プロデューサー・五十嵐文郎は江戸川乱歩賞受賞作『浅草エノケン一座の嵐』のタイトルの原案者でもある。今や局の役員待遇の要職に就いた五十嵐だが長坂との仕事の付き合いは2020年現在も続いており、2006年の『信長の棺』、2009年に2夜連続放映の開局50周年記念ドラマ『刑事一代 平塚八兵衛の昭和事件史』、2010年の『警視庁取調官落としの金七事件簿』『警視庁継続捜査班』、2013年の『特捜最前線2013?七頭の警察犬』、2017年からのアガサ・クリスティシリーズ、2020年の『24 JAPAN』でもコンビを組んでいる。

メカに強いことを自負し、『特捜最前線』の脚本を執筆していたころはほぼ全ての週刊誌に目を通し、モノ・マガジンを毎回購読し、東急ハンズにもよく通っていたという。#作風の節にもあるように『特捜』に新しいものや流行・世相がらみのものが良く登場していたのはこれらのこともあってのこととされている。「新製品情報には特に気を使っていた」とも話している[3]

もともとが監督志望であったため「今まで自分のシナリオがイメージどおり(の映像)に作品が仕上がったことはない」と演出家には手厳しい態度をとっており、自著『長坂秀佳 術』にて暗に映画『こんにちはハーネス』の後藤俊夫、『特捜』の宮越澄、青木弘司辻理の演出を批判するなどシビアな一面もある。一方同じ『特捜』の天野利彦佐藤肇には別格に尊敬の念を持っていたようで、特に天野演出については「感動的」と評したり、「天野カントクは情緒的な演出が本当に上手かったからね。また俺からわざわざ言わなくても通じ合う部分もあるんだ。俺とはゴールデンコンビと呼ばれていたからね。できれば『特捜』のラスト3本も天野カントクに撮って欲しかったんだけどね」と『長坂秀佳 術』にて語るほど、その信頼は絶大なものがあった。また『ジュニア・愛の関係』などで組んだ藤田明二の演出にも惚れ込んでいたようで「藤田の撮る男のカッコよさ、男っぽさはホントに凄かった。また何かで組んで仕事がしたいね」とかつてインタビューにて絶賛していた。さらに『警視庁取調官落としの金七事件簿』における和泉聖治の演出も賞讃している。

1993年の夏に関西ローカルの『テレビのツボ』という番組で構成作家の上田信彦が『特捜最前線』特集としてコーナーを展開していたとき、「『特捜』を支えた男」として長坂を取り上げ5分くらいに亘り延々とマニアックな解説を披露していた。

ウルトラマンゼアス』の脚本は、「ウルトラマンで喜劇をやる」という発想に魅力を感じ、当時の助手たちに稼がせるつもりで引き受けた。


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