前将軍・後将軍(前後左右将軍)など様々な将軍にも、秩千石の長史がついた[5]。
辺郡(辺境の郡)には太守の補佐として長史を置いた[6]。ふつうの郡では太守の補佐として丞がつくが、長史は太守の下、丞の上である[7]。正式には、「郡」を除いた地名に「長史」をつけて呼んだ。たとえば張掖郡の長史なら「張掖長史」である[7]。秩六百石[6]。 『日本大百科全書』によれば、将軍の僚属 日本の律令制では、中央政府においては五衛府の尉(じょう)、地方については大弐(おおいすけ、大宰府)、介(すけ、国司)の唐名として用いられた。
概要
日本
脚注 ^ 『史記』巻87、李斯列伝第27。ちくま学芸文庫版『史記』6の118頁。
^ 『漢書』巻19上、百官公卿表第7上。『『漢書』百官公卿表訳注』16頁。
^ a b c 『漢書』巻19上、百官公卿表第7上。『『漢書』百官公卿表訳注』27頁。
^ 『漢書』巻19上、百官公卿表第7上。『『漢書』百官公卿表訳注』23頁。
^ 『漢書』巻19上、百官公卿表第7上。『『漢書』百官公卿表訳注』35頁。
^ a b 『漢書』巻19上、百官公卿表第7上。『『漢書』百官公卿表訳注』35頁。
^ a b 『漢書』巻19上、百官公卿表第7上。『『漢書』百官公卿表訳注』175 - 176頁注5。
^ a b 日本大百科全書『倭の五王
参考文献
中央研究院・歴史語言研究所「漢籍電子文献資料庫」。
司馬遷『史記』
小竹武夫訳『史記』1から8、筑摩書房、ちくま学芸文庫、1995年。
班固著、『漢書』
小竹武夫訳『漢書』1から8、筑摩書房、ちくま学芸文庫、1998年。
大庭脩監修、漢書百官公卿表研究会『『漢書』百官公卿表訳注』、朋友書店、2014年。