鎮狄将軍
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神亀元年(724年)には、3月25日に陸奥大掾佐伯児屋麻呂が殺害され同年4月7日に藤原宇合を持節大将軍に任じ、その際5月24日小野牛養が鎮狄将軍に任じられた[5]。また、宝亀11年(780年)に陸奥国伊治郡で勃発した伊治呰麻呂の乱で陸奥按察使の紀広純が殺害され、3月28日藤原継縄が征東大使に任じられた際には、翌29日に安倍家麻呂が出羽鎮狄将軍に任じられた[6]。しかしこの後、秋田城に出羽介を長とする鎮守部隊がおかれ、陸奥国の蝦夷征討のため大規模な軍を率いる征夷大将軍が任じられるようになり、鎮狄将軍は任じられなくなった。
脚注^ 『続日本紀』和銅2年3月6日条
^ 同8月25日条
^ 同9月12日条
^ 『同』養老4年9月29日条
^ 『同』神亀元年5月24日条
^ 『同』宝亀11年3月29日条
関連項目
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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