鎧着初
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]
脚注^ 『吾妻鏡』建仁3年(1203年)10月9日条、源実朝が着甲始を行ったと記す。
^ 一方で、義家の元服は7歳とされる(源義家の項を参照)。『訓閲集』の記述が史実かどうかは別としても、元服前の3歳で鎧着初を行ったと伝えられている点が重要である。
^ 信綱伝の『訓閲集』巻六「士鑑・軍役」にも同様の記述があり、トビウオはケガの際、出血が止まらなくなる為、また、諸肉を軍神が嫌う為としており、従って、鎧着初の日は肉を食さない。
^ 『広辞苑 第六版』を一部参考。
^ 例として、徳川家光は、元服が元和6年(1620年)に対し、具足始は元和8年(1622年)とあり(2年差があり)、具足親は加藤嘉明が務めた。
^ 佐藤寒山編『日本の美術 刀剣 第六号』 (至文堂 、1966年) p.63.
^ 『テーマ展 武装 大阪城天守閣収蔵武具展』 大阪城天守閣特別事業委員 2007年 p.17.
参考文献
校訂 赤羽根大介 解説 赤羽根龍夫 「上泉信綱伝 新陰流軍学『訓閲集』」 スキージャーナル株式会社 2008年 p.230.
『広辞苑 第六版』 岩波書店(一部参考)
『吾妻鏡』
『徳川実紀』
関連項目
元服
源氏八領の一つ「源太産衣」は源氏嫡子の着初めの鎧とされる。
記事の検索おまかせリスト▼オプションを表示暇つぶしWikipedia
Size:7795 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef