錦織圭
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翌週メキシコカンクンフューチャーズ大会には予選から出場しベスト4入り。

6月にはエミリアノ・マサと組んで出場した全仏オープン男子ジュニアダブルス部門で、日本男子史上初の4大大会ジュニアダブルス優勝の快挙を果たした。なおこの大会では男子ジュニアシングルスでも8強に入っている。また、前年この大会で優勝しこの年も男子シングルス決勝に進んだ世界ランキング2位のラファエル・ナダルが、決勝前日の練習相手に仮想ロジャー・フェデラーとして錦織を指名し話題を呼んだ[11]。その翌日の決勝戦当日の朝にもヒッティングパートナーの依頼を受け再び練習相手を務める[8]

フューチャーズ大会で着実に実績を積んでいき9月にはカリフォルニアの大会でベスト4、10月にはメキシコの大会で予選から出場し決勝で世界ランキング300位の選手を破りいきなり初優勝した。この優勝によりATPランキングポイント12を獲得した錦織はATPチャレンジャーツアーの予選に出場できるまでにランキングを上げる。シーズン終盤ではチャレンジャーの2大会で本戦に出場し、本戦初勝利も手に入れた[8]。2006年シーズン終了時点で世界ランキング603位につけておりこの時点で日本人選手10位につけており、既に日本トップ選手の一人となっていた。
プロ経歴
2007年 プロ転向

3月のマイアミ・マスターズのダブルスに、主催者推薦で元シングルス世界ランク1位のグスタボ・クエルテンと組んでツアー初出場。また、同大会のジュニア部門として開催されているルキシロンカップに第4シードで出場し、決勝でマイケル・マクルーンを6-7(2), 6-4, 6-1で破り優勝、またこのマイアミの直前と期間中の約1週間、ロジャー・フェデラーの練習相手を務めた。4月には全米男子クレーコート選手権シングルス予選でツアーシングルス予選初出場。ここでは予選1回戦でトラビス・パロットに3-6, 5-7のストレートで敗れた。5月にはノーシードで出場したLAテニス・オープン・USTA男子チャレンジャーシングルスで自身初のチャレンジャー大会決勝進出を果たし準優勝。予選から出場した7月第2週のカントリーワイド・クラシックシングルスでは予選を勝ち上がり自身初のツアーシングルス本選出場。ここでは1回戦でウェスリー・ムーディと対戦し、3-6, 2-6のストレートで敗れた。

更に翌週RCA選手権シングルスでも予選勝ち上がりで本戦出場を果たし、1回戦でアレハンドロ・ファジャを6-4, 6-3で、2回戦でミヒャエル・ベラーを6-3, 3-6, 6-1のフルセットで下し、日本人男子史上最年少のATPツアーシングルスベスト8を決める。続く準々決勝では世界ランク27位、第3シードのドミトリー・トゥルスノフと対戦し、1-6, 4-6のストレートで敗れた。この活躍により翌7月第4週のレッグ・メーソン・テニス・クラシックではシングルス本戦スペシャル・エグザンプションを与えられ本戦出場。2回戦のジュリアン・ベネトー戦まで進出した。8月には全米オープンでグランドスラム予選に初挑戦。ここでは予選2回戦でビョルン・ハウに2-6, 4-6のストレートで敗退。9月のチャイナ・オープンシングルスでも予選を勝ち上がり本戦出場。1回戦で世界ランク12位で第4シードのイワン・リュビチッチに3-6, 4-6のストレートで敗れた。同月29日に日本に帰国し記者会見を行い、翌10月1日付でのプロ転向を発表し、17歳9ヶ月でプロ転向[12]。翌10月のジャパン・オープンでプロデビューを果たすが、この大会はシングルス、添田豪と組んだダブルス共に1回戦で敗退した。
2008年 ツアー初優勝2008年全米オープンにて

2月17日、錦織はデルレイビーチ国際テニス選手権で予選から勝ち上がると、初進出の決勝で世界ランク12位、第1シードのジェームズ・ブレークを3-6, 6-1, 6-4で破り、ツアー初優勝を達成した。日本人男子選手のATPツアー制覇は、1992年4月に韓国オープンを制覇した松岡修造以来16年ぶり2人目の快挙となった。

4月に男子国別対抗戦デビスカップ「アジア・オセアニアゾーン」の「グループ1」2回戦で、日本はインドと対戦し、日本男子のトップに立った錦織が初めて日本代表に選出された。4月28日、錦織は世界ランキングで99位に浮上し、日本男子としては1996年8月まで2桁順位であった松岡以来の世界ランキング100位以内に入った。

全仏オープンでは予選2回戦で敗退するが、ウィンブルドン前哨戦のアルトワ選手権では3回戦まで進出し、世界ランク2位のラファエル・ナダルと対戦、4-6, 6-3, 3-6と負けはしたものの、ナダル相手に1セットを奪う健闘を見せる(試合後、ナダルは「彼は数年後には世界ランク10位、いや5位に食い込んでくるだろう。100%間違いない」とコメントしている[13])。ウィンブルドンで初のグランドスラム本戦ストレートイン(予選免除)を果たす。マルク・ジケルとの1回戦では、1セット・オールから腹筋の痛みを訴え、途中棄権による敗退となった[14]

6月末には日本テニス協会が申請していた北京オリンピック推薦枠での出場が認められ、オリンピック初出場を決めた。


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