錦糸町駅
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◄JO 21 馬喰町[** 2] (2.5 km) (5.2 km) 新小岩 JO 23►
所属路線■総武線(各駅停車)[** 1]
駅番号JB22
キロ程0.0 km(錦糸町[** 3]起点)
千葉から34.4 km
◄JB 21 両国 (1.5 km) (1.5 km) 亀戸 JB 23►
備考

直営駅管理駅

みどりの窓口

東京都区内

^ a b いずれも線路名称上は総武本線
^ この間に首都圏本部千葉支社境界あり(当駅から新小岩方は千葉支社管内)。
^ 総武本線(支線)の起点として

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島式ホーム2面4線を有する高架駅である。錦糸町営業統括センターが所在し、所長兼駅長が配置された直営駅であり、浅草橋駅 - 小岩駅間を当統括センターの管理エリアとし錦糸町駅は管理駅として亀戸駅を管理する。

当駅で各駅停車御茶ノ水中央線方面と快速東京横須賀線方面が分岐するため、各駅停車と快速を相互に乗り換える旅客は多い。ただし、線路別複々線であるため、快速と各駅停車の乗り換えは別ホームになり、階段・エスカレーター(ホーム中央 - コンコース間)・エレベーター(同)を経由する。当駅ホームの亀戸寄りには、ホーム間乗り換え専用通路が設置されている。
のりば

番線路線方向行先
1
総武線(各駅停車)西行秋葉原新宿中野方面
2東行新小岩市川船橋千葉方面
3 総武線(特急・快速)上り馬喰町東京横浜鎌倉方面
4下り船橋・津田沼・千葉方面

(出典:JR東日本:駅構内図)

当駅の西方(両国寄り)に緩行線・快速線間の渡り線が存在する。新宿方面からの特急(「あずさ」の千葉駅発着系統および、土日祝を中心に臨時列車として運行される「新宿さざなみ」や「新宿わかしお」など)はここで緩行線(御茶ノ水・中央本線方面) - 快速線(千葉方面)と転線し、当駅の快速線ホームに停車する。また、この分岐器配線の関係上、快速電車が当駅を発着した前後は大きく揺れる。

当駅は「成田エクスプレス」以外の営業列車は臨時列車も含めて停車する。かつては「ホームライナー千葉」も通過していたが、東京発「ホームライナー千葉」は過去に運転停車していたことがある[注釈 3]

北側には快速線の留置線が隣接し、6本の列車を止めることができる。総武快速線および横須賀線の東京駅発着で即時折り返しを行わない列車は当駅付近まで総武快速線を回送し、この留置線に一旦引き上げた後、再び総武快速線を回送して、東京駅へ向かう。留置線は両国駅方で本線と出入りする構造になっている。このため営業列車での当駅始発・終点の設定はない。

総武快速線は「通勤五方面作戦」の計画に当駅での優等列車待避が盛り込まれていたため、上下線とも通過線を設置できる構造になっている。ただし、当駅は当面の間全列車が停車するとされたため、市川駅と異なり当初から通過線は敷設されず、「成田エクスプレス」などの当駅通過列車が登場した後も敷設の計画はない。現在、上り線の予定地は広告スペースとなっており、下り線の予定地は0番留置線として使用されている。詳細は「横須賀・総武快速線#総武快速線新設計画」を参照

国鉄時代には鉄道管理局の境界(東京→東京南鉄道管理局と千葉鉄道管理局との境界)が馬喰町 - 錦糸町間にあったことから、東京都内にありながら、同駅以東は千葉鉄道管理局が管轄していた。

2018年平成30年)10月末頃に自動放送 (ATOS)が更新された。

北口改札(2019年6月)

南口改札(2019年6月)

1・2番線ホーム(2021年4月)

3・4番線ホーム(2019年6月)

JR駅北側にある留置線(2007年8月)

発車メロディ

1・2番線では五感工房、3・4番線では東洋メディアリンクス制作のメロディを使用している。

1JR-SH2-1
2JR-SH2-3
3Water Crown
4Gota del Vient

東京メトロ

東京メトロ 錦糸町駅
きんしちょう
Kinshicho

◄Z 12
住吉 (1.0 km) (1.4 km) 押上 Z 14►
所在地東京都墨田区江東橋三丁目14-6北緯35度41分47秒 東経139度48分54秒 / 北緯35.69639度 東経139.81500度 / 35.69639; 139.81500 (東京メトロ 錦糸町駅)
駅番号Z13
所属事業者東京地下鉄(東京メトロ)
所属路線●半蔵門線
キロ程15.4 km(渋谷起点)
駅構造地下駅
ホーム1面2線
乗降人員
-統計年度-[メトロ 1]92,013人/日
-2022年-
開業年月日2003年平成15年)3月19日[報道 2]
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島式ホーム1面2線を有する地下駅である。押上側には非常用の両渡り線がある(ホームからはやや遠い位置にある)[12]改札口は1箇所となっている。押上止まりの列車で、終点到着が2番線の列車で、1本後の列車が東武線直通の場合は、階段移動を伴うために当駅で乗り換えを促すアナウンスが行われることもある。

2018年にホームドアが設置されたが、B線(渋谷方面)のみ大開口ホームドアを採用している。これは、押上駅で乗務員が交代した後の最初の停車駅で、乗務員がブレーキ操作に慣れていない可能性があることを考慮し、停止位置許容範囲に余裕を持たせるためである[13]
のりば

番線路線行先[14]
1 半蔵門線渋谷長津田中央林間方面
2押上〈スカイツリー前〉久喜南栗橋方面

(出典:東京メトロ:構内図)

総武線の当駅が開業してから1910年明治43年)3月26日まで、東武鉄道亀戸線、総武線を経由して当駅に乗り入れていた(東武亀戸線参照)。2003年平成15年)3月19日に半蔵門線との直通運転を開始したことにより、東武鉄道は事実上93年ぶりに当駅への乗り入れを再開したことになった。

改札口(2005年3月)

1番出入口(2007年10月)

2番線ホーム(2008年12月)

発車メロディ

2018年(平成30年)9月13日からスイッチ制作の発車メロディ(発車サイン音)を使用している[報道 5]

曲は1番線が「光彩都市」、2番線が「五月雨」(いずれも福嶋尚哉作曲)である[15]
利用状況

JR東日本 - 2022年度の1日平均
乗車人員は 87,590人である[JR 1]。同社の駅全体では日暮里駅に次いで第34位。半蔵門線開業前は80,000人程度でほぼ横ばい傾向であったが、半蔵門線が開業し、のちに東京スカイツリーも開業したことから増加傾向に転じ、2006年度に90,000人、2012年度に100,000人を越えた。

東京メトロ - 2022年度の1日平均乗降人員は92,013人である[メトロ 1]。同社の駅全体では第28位。開業前の予想では32,000人程度と見込まれていたが、開業以来その数字を上回り、2008年度に80,000人を越えるまで急激な伸びを見せた。その後も緩やかに増加し、2015年度には100,000人を超えている。

年度別1日平均乗降人員

開業後の1日平均乗降人員推移は下表の通り(JRを除く)。

年度別1日平均乗降人員[統計 1][統計 2]年度営団 / 東京メトロ
1日平均
乗降人員増加率
2002年(平成14年)[16]31,426[備考 1]
2003年(平成15年)[16]45,95646.2%
2004年(平成16年)54,42018.4%
2005年(平成17年)59,4969.3%
2006年(平成18年)68,28514.8%
2007年(平成19年)77,38913.3%
2008年(平成20年)81,3475.1%
2009年(平成21年)81,4940.2%
2010年(平成22年)83,3242.2%
2011年(平成23年)82,342−1.2%
2012年(平成24年)89,2338.4%
2013年(平成25年)92,6583.8%
2014年(平成26年)95,7103.3%
2015年(平成27年)100,2753.9%
2016年(平成28年)103,8513.6%
2017年(平成29年)105,3421.4%
2018年(平成30年)107,9222.4%
2019年(令和元年)110,1362.1%
2020年(令和02年)[メトロ 2]74,337−32.5%
2021年(令和03年)[メトロ 3]79,9137.5%
2022年(令和04年)[メトロ 1]92,01315.1%

年度別1日平均乗車人員(1890年代 - 1930年代)

各年度の1日平均乗車人員の推移は下表の通りである。

年度別1日平均乗車人員年度総武鉄道 /
国鉄出典
1894年(明治27年)
[備考 2]
1895年(明治28年)1,082[東京府統計 1]
1896年(明治29年)1,129[東京府統計 2]
1897年(明治30年)1,570[東京府統計 3]
1898年(明治31年)1,520[東京府統計 4]
1899年(明治32年)1,749[東京府統計 5]
1900年(明治33年)1,895[東京府統計 6]
1901年(明治34年)1,814[東京府統計 7]
1902年(明治35年)1,638[東京府統計 8]
1903年(明治36年)1,527[東京府統計 9]
1904年(明治37年)704[東京府統計 10]
1905年(明治38年)377[東京府統計 11]
1907年(明治40年)259[東京府統計 12]
1908年(明治41年)433[東京府統計 13]
1909年(明治42年)412[東京府統計 14]
1911年(明治44年)408[東京府統計 15]
1912年(大正元年)550[東京府統計 16]
1913年(大正02年)653[東京府統計 17]
1914年(大正03年)736[東京府統計 18]
1915年(大正04年)690[東京府統計 19]
1916年(大正05年)717[東京府統計 20]
1919年(大正08年)889[東京府統計 21]
1920年(大正09年)949[東京府統計 22]
1922年(大正11年)1,189[東京府統計 23]
1923年(大正12年)1,780[東京府統計 24]
1924年(大正13年)2,138[東京府統計 25]
1925年(大正14年)2,503[東京府統計 26]
1926年(昭和元年)3,061[東京府統計 27]
1927年(昭和02年)3,679[東京府統計 28]
1928年(昭和03年)5,258[東京府統計 29]
1929年(昭和04年)5,467[東京府統計 30]


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