銃器
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戦国時代だったため、各大名の新兵器に対する需要は高く、火縄銃は急速に日本各地に広がったが、徳川幕府が成立すると、幕府は火縄銃の普及を恐れて様々な制限を加えるようになり、また鎖国のためにヨーロッパの最新情報が手に入らなくなって日本における銃の発展や改良は再度ヨーロッパから銃を輸入するようになる幕末まで完全に停滞することとなった[4]

ヨーロッパでは16世紀になると、騎兵向けの軽量銃器として拳銃(ピストレット)や騎兵銃(カービン銃)など用途に適した形式の銃も出現するようになった[4]。しかしマッチロックは火のついた火縄を持ち歩く必要があり、火縄の臭いで敵に気づかれたり、雨や雪で火が消えるなど欠点が多かった。これらの欠点の克服のため、1525年頃にドイツもしくはオランダで誕生したスナップハンス式に代表される火打石と鋼のやすりを擦り合わせて発火させる方式が開発されるようになった[4]フリントロック式の拳銃

17世紀初頭にはフランスでスナップハンス式を改良したフリントロック式が開発されて、やすりの下端が点火孔の外側に装填された補助点火火薬を保護する蓋を兼用するようになった。これによりもはや火縄を持ち歩く必要は無くなり、天候に左右されにくくなった。ヨーロッパ各国は競ってフリントロック銃を軍用銃とした[4]。フリントロック式は信頼性が高く、2世紀もの間使用され続け、その間様々な改良や試作が行われた[4]。またフリントロック式の軍用銃には、歩兵用の長いマスケット銃、それよりやや短く軽量のドラグーン、騎兵用の短いカービン銃、片手で射撃できる小型のピストルなど用途別に様々なものが使用された[4]パーカッションロック式の拳銃

19世紀初頭にヨーロッパでパーカッションロック式(管打式・雷管式撃発装置)の発火方式が、フリントロックに代わるものとして開発された。これは水銀系の雷汞という火薬を発火に使用するものだった[4]。フリントロックと違って、補助点火火薬の装填の必要もなく、発射後再装填がすばやく行え、空気中の湿気の銃身内の火薬の保護にも優れていた[4]。18世紀中頃以降には、ヨーロッパ諸国は従来のフリントロックを改造した物か、パーカッションロック式を軍用銃として採用するようになった[4]

金属加工技術に優れるドイツでは、古くから銃身内に螺旋溝(ライフリング)を刻み、弾丸に回転を加えて命中精度を高めた「イェーガー・ブクセ(狩猟銃)」が狙撃兵に支給されていた[4]。他のヨーロッパ諸国もパーカッションロック銃の時代になると、銃身内に螺旋溝を刻むようになり、命中精度が向上した。英語でマスケットと呼ばれていた歩兵用小銃がライフルと呼び変えられた語源はこれである[4]。一方、騎兵用の短い銃は、単発銃の時代に発射後にフックで吊るして戦闘を続けたため、ドイツ語でフックを意味する「カラビナー」から英語でカービンと呼ばれるようになった[4]
近代から現代M1911

19世紀中頃までは、火薬と弾丸を槊丈という棒でもって銃口から装填する前装式(先込め式)が一般的だったが、これは再装填に時間を要し、その間無防備になってしまい、また不発弾の排除の手順が面倒という欠点があった。そのため18世紀の頃から弾薬を銃身の後ろから装填する後装式(元込め式)が、考案・製作されていたが、弾丸と発射薬をばらばらに装填するために発射ガスが後方から噴き出す欠点があった。そのため初期の後装式銃は、後方に噴き出す発射ガスを減らして射手が直接に吹きつけられることがないよう設計されていた[4]

後装式銃の画期となったのはドイツのドライゼ銃である。この銃は長い撃針を持ち、弾薬は弾丸と発射薬と雷管が紙で包まれて一体化されており、撃針が紙の包みを貫通して弾丸後端の雷管を突くことで発火させた。この銃が構造的に注目されたのは、ボルト(遊底)という円筒状の前後に動く可動部分を持っていたことであり、このボルトをすばやく動かすことで再装填できた。普仏戦争でこの銃が活躍したことで注目された[4]

19世紀には弾薬にも変化が現れた。従来の弾薬は、弾丸、発射薬、雷管とバラバラだったのが、新たに発明された弾薬は、薬莢(カートリッジ)とよばれる軟金属製のカップで一体化された。この薬莢によって後装式銃の製造は容易になった[4]。特に1860年代にフランスやイギリスで軍用弾薬の高い圧力にも耐えられるセンターファイアー・カートリッジが開発されると以降はこれが弾薬の主流となり、現在に至るまで使用され続けている[4]。弾薬の一体化で後装式単発銃のみならず、手動式の連発銃、自動的に弾薬を再装填する自動装填式銃(セミオートマチック・ライフル)、連続して射撃できる自動銃(オートマチック・ライフル、フルオートマチック・ライフル)、さらには機関銃(マシンガン)の製造も可能となっていく[4]

1871年に製品化されたドイツのマウザー・ボルトアクション方式小銃はドライゼ銃を改良したような構造で、薬莢を使用した後装式銃として最も特筆される製品となり、以降続々とその改良型が考案されて世界各国にコピーされ、第二次世界大戦が終わるまで各国の軍用銃の主流を占めた[4]。日本でも1880年(明治13年)に初の国産ボルトアクション式小銃村田銃が登場して以降、国産小銃の開発が進められていった[4]

1884年にはフランスで無煙火薬が発明された。これにより発射煙で視界が妨げられることがなくなり、弾丸を高速で発射できるので、8ミリ程度の小さな弾丸口径で弾薬を軽量に製造することも可能となった。1886年にフランスは世界に先駆けて無煙火薬の口径8ミリ弾薬を軍用に採用。その後10年間に世界各国も採用し、弾薬を口径6.5から8ミリに小さくして軽量化させた[4]。弾薬軽量化で自動銃の研究も進み、19世紀末には自動装填式拳銃(セミオートマチック・ピストル)や機関銃が実用化された[4]

第一次世界大戦では敵塹壕への突撃のために、射撃しながら前進できる空冷式で軽量の軽機関銃(ライトマシンガン)、拳銃弾を連発できて塹壕内で動きやすい小型サブマシンガン(マシンピストル・マシンカービン・機関短銃)も新兵器として登場した[4]。また第一次世界大戦を契機として軍用銃器の中心であるボルトアクション小銃も命中精度よりも扱いやすさが重視されるようになり、110センチほどに短くなった[4]

第二次世界大戦中にはドイツがMG34機関銃MG42機関銃などの、組み替えて防衛用・攻撃用に用途を変えられるシステム機関銃(システムマシンガン)を使用。このような組み替えによって異なった用途に対応可能な兵器をシステムウェポンとよび、現代の機関銃はドイツのシステム機関銃の大きな影響のもとにある[4]。また第二次世界大戦半ばからドイツはStG44 (突撃銃)というアサルトライフルを開発・使用。これは多くの弾薬が装填可能であり、全自動連射と半自動連射の選択が可能であり、高い敵制圧力があった[4]。これをドイツ軍から鹵獲した各国でアサルトライフル研究が進み、戦後の1947年にはソ連がドイツの突撃銃を模したAK-47ライフル(カラシニコフ・オートマチック1947年型)を開発して配備。対抗して西側諸国でも軍用ライフルに突撃銃を採用するようになった[4]。中でもアメリカがベトナム戦争中に採用したM16自動小銃は、5.56ミリ口径で重量12グラムの弾丸を1000メートル毎秒の高速で発射できる設計だった[4]

小口径高速弾は、従来の弾薬に比して極めて軽量であり、大量の弾薬を消費する現代戦に向いているため、現代の軍用銃のほとんどは類似の小口径高速弾薬を使用している[4]。現代の軍用小銃は、全自動連射と半自動連射に切り替えることができ、一時に多数の小口径高速弾薬の装填が可能であり、軽合金やプラスチックを多用することで軽量小型化されている傾向にある[4]

現在、世界的に著名な銃器メーカーとしては、シグ・ザウエルスイス)、ヘッケラー&コッホドイツ)、スミス&ウェッソンアメリカ)、コルト・ファイヤーアームズ(アメリカ)、スプリングフィールド・アーモリー(アメリカ)、FNハースタルベルギー)、スターム・ルガー(アメリカ)、バレット・ファイアーアームズ(アメリカ)、ベレッタイタリア)、ブローニング・アームズ(アメリカ)、グロックオーストリア)、レミントン(アメリカ)、チェスカー・ズブロヨフカ・ウヘルスキブロッドチェコ)、ベネリ(イタリア)、ワルサー(ドイツ)、イスラエル・ウェポン・インダストリーズイスラエル)、アーマライト(アメリカ)、トーラス・アームズブラジル)、カラシニコフロシア)、マグナムリサーチ(アメリカ)、シュタイヤー・マンリヒャー(オーストリア)などがある[6]


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